のぼるくんの世界

のぼる君の歯科知識

木曽路の旅

1975年11月24日(月)

保古の湖1 5年生の6月頃身体の調子が悪く、外科にて盲腸だと分かったが、授業もあるので薬を飲んで散らしていた。夏休みに入るとすぐに帰省し、斉藤病院へ入院し、手術を受けた。そのため夏は旅に出なかった。秋になっても、前期試験、登院のための口頭試問など絞りに絞られ、それどころではなかった。それで晩秋に、木曽路へ旅に出てリフレッシュすることにした。 続きを読む

高山の旅

1976年05月16日(日)

高山陣屋11976年5月15,16日
 1月4日から登院し、患者さんを診ることになった。緊張した毎日が続き、学生気分の春休みもなかった。ゴールデンウィークが過ぎ、ようやく一息つき、旅に出ることにした。
 高山は分かりやすい町、静かな町、川の綺麗な町である。旅人も多く、朝市もにぎやかだった。陣屋、屋台会館、民俗村もよかった。天照寺ユースに泊まった仲間たちも面白い人が多かった。 続きを読む

続・四国の旅

1977年02月15日(火)

続・四国の旅1977年(昭和52年)2月10~15日
 学生最後の旅である。国家試験までの束の間の気分転換である。二度目の四国。室戸岬を見てみたかった。なぜなら、室戸に台風が上陸すると、石川を直撃する。起点を知りたかった。社会に出るにあたって、これからを考えたかった。

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磐梯山、その周辺の旅

1977年08月11日(木)

磐梯山                                  1977年8月11(水)~15日(月)
 大学を卒業し、4月から金沢大学歯科口腔外科へ入局する。午前は外来診療とそれに伴う技工物の作成。午後からは中央手術室か外科室での手術または入院患者の診察、そして週2回の専売公社の診療、それに加えて抄読会と症例検討会。夜は細菌の実験。土日もなく、毎日続いた。それで、張りつめた心と身体を解き放つため、盆休みに磐梯山を登山することにした。 続きを読む

盛岡・田沢湖の旅

1977年09月17日(土)

盛岡ユース                                      1977年9月12~17日
 盛岡で開かれた日本口腔外科学会総会に金沢大学歯科口腔外科教室の一員として出席する。他の先生は飛行機を利用したが、勤務している鉄道病院から国鉄の乗車券を現物支給されたため、一人旅となった。金沢を早朝経ち、電車を乗り継ぎ半日かけて夕方盛岡に着く。盛岡ユースに3泊し学会に参加した。ユースにスーツ姿は似合わなかった。1泊2食1850円。学会が終わってから、田沢湖に立ち寄り休養を取り、帰路へ向かう。 続きを読む

新穂高温泉

2014年08月17日(日)

 %e3%81%86%e3%81%aa%e4%ba%ad%ef%bc%93 16日(土)雨の中新穂高へ車を走らせる。お昼を30年ぶりに新平湯温泉「うな亭」で。先代の養殖から受け継ぐ、絶品のうな丼に超満員。金沢から2時間半。

うな亭
j47.jp/unatei/
新穂高ロープウェー
shinhotaka-ropeway.jp/

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荘内桜と郡上八幡

2009年04月29日(水)

%e7%99%bd%e5%b7%9d%e9%83%b7%e3%81%8b%e3%82%89%e3%81%bf%e3%82%8b%e7%99%bd%e5%b1%b1 昭和の日に朝早く、東海北陸道白川インターへ。白川郷から見える白山は、日頃見るより雪が多く、低く感じた。国道156号線沿いにある2本の荘内桜「アズマヒガンザクラ」は、気品漂う白い小柄な花を付けていた。花びらが肌寒い風に少し舞っていたが、多くの人が自然の華やかさと力強さを楽しんでいた。この桜は、御母衣ダム建設で水没する運命の光輪寺境内にあったが、集落の人々の心のよりどころとして移植することを決意された。樹齢400年を超える老桜であったが、昭和35年に現在地に引き上げられ移植された。愛情に応えて奇跡的に蘇生し、毎年見事な花を咲かせている。 続きを読む

清里への旅

1977年10月09日(日)

飯盛山登山                1977年10月7~9日
 開業すれば体験できない、のんびりとした大学気分最後の旅に、思った以上に時間がかかり、今後も行けそうで行けない所を選ぶことにした。また、清里はブームでもあった。そして、翌年6月に備えて、環境を変えて、理念やビジョンをゆっくり考えてみたかった。 続きを読む

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