のぼるくんの世界

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ソーシャル ジャスティス

2023年08月28日(月)


 小児精神科医、社会を診る
SNSの炎上、社会の分断への処方箋
著者 内田 舞 ハーバード大学准教授、脳科学者、3児の母
文春新書
2023年4月20日発行
1020円
A.子どもから学ぶアメリカ社会
1.親と子どもは独立した個人
 アメリカでは、日常生活のあらゆる場面で、親と子どもが独立した個人であるという認識がある。子どもが親と違う意見を持った時にも、子どもの意見は子どもの意見として一旦受け止め、もし結果的に子どもの選択がよくない方向に向かっても、失敗に自身で対応することも子どもの人生の一部だと考える親も多い。また、最終的に親の意見を子どもに聞き入れてもらう場合であっても、どうしてそのような意見を持つのか親子の間で話し合う姿勢が中心にある。
 ①一人で寝る習慣
 子どもが赤ちゃんの時から一人で寝る習慣を身につけさせる風習も、子どもを自立した存在として育てるアメリカ文化を象徴しているような気がする。子どもが赤ちゃんだった頃、日本式で添い寝して寝かせつけをしていた。子どもが寝付かない、夜中に頻繁に起きるので、親が眠れない状況が続き、小児科医に相談したところ、「子ども自身が潜在的に自分を落ち着かせる能力を持っているのだから、その力を少しずつ使って一人で寝られるように練習させてあげなさい」と指導された。その指導に従い、寝かしつけ無しで、欧米式の「おやすみ」と言うだけで一人で寝かせる方法に切り替えてみると、数日間大泣きした調整期間はあったものの、親と子も朝まで眠れるようになった。
 添い寝
kojima-dental-office.net/20150510-1156
2.同意
 「同意」とは、相手の合意を得ることが目的と思われるが、互いの意思を一致させることよりも、むしろコミュニケーションをすることに重きを置くこと。
 YES・NOを表明し、受け入れる基盤、それは互いが違う個人だということを認め、そして自分や他人の個人としての意思や身体をリスペクトすること。これが本来の意味の「同意」だと思う。
 子ども自身の「同意」を尊重する文化の根底には、小さい時から親が子どもを信頼する勇気がある。『勇気』とは『怖くない』と思うことではなく、『怖い』と自然と躊躇してしまう気持ちを乗り越え、新しい挑戦に心を開いて臨むこと。
 今必要とされている教育とは、「同意教育」の根っこにある、自身と他者に向けたリスペクトを磨く習慣づけにある。
 ①息子の保育園での同意教育
 アメリカ・ボストンのプレスクールでは、2歳児のクラスから「同意」について教えられていた。「おもちゃを貸して」と言われたら、「これ貸してもいい」と思う時もあれば、「まだ使っているから嫌」という時もあり、どちらの答えでもいいと教えられていた。友達とおもちゃなどをシェアするためには、「自分が使っているものを気が済むまで使っていい」「誰かに貸しても自分が必要な時には返してらえる」と思える安心感が何よりも必要。不安が先行してしまうと、友達とのシェアは難しくなる。安心感、信頼感をベースに考える。
 他者が自身を尊重する判断をした場合には、それが自分の希望と違っても、仕方ないと自分の希望を手放せる考え方を身につけて欲しい。NOと言ってもいい、またNOと言われてもいい、という双方の立場からの「同意」の受け入れの練習をさせてもらっている子どもたちがうらやましい。
 ②コロナワクチン治療に参加した6歳児の同意
 親の同意だけではなく、子どもの同意が医療行為において尊重されている。アメリカで医師が子どもの患者さんに同意を得る際、法的には親からの同意が必要だが、子どもからの同意がすぐに得られない場合は、家族での話し合いを経て納得できる決断をしてもらう。私自身も診療で心がけている。
B.差別と分断を乗り越えるために
1.論理のねじれに気づく努力
 ネットの議論では論理のねじ曲げ論法が非常に多く見られる。誰かを攻撃しても自分の幸福度は上がらない。相手との比較ではなく、ありのままの自分自身をリスペクトする芯のある自尊心を育てることが必要。
 議論の方向性が本質から離れて何かおかしい方向に行ってしまっていると感じる勘を育てることと、その自分の感覚を信じて、いったんじっくりその事象を見つめてみることが大切。
 ①勘を育てるのは広く深い経験
 ねじれた論理の波に巻き込まれないためには、「何か違う」とぱっと感じとる「勘」が何よりの防御になる。
 数学者の藤原正彦さんのスピーチが印象的。数学ではAならばB、BならばCと論理を繋げていくが、論証の出発点であるAに向かう矢印はない。つまり論理の発端は常に仮定。その仮定、証明の出発点が間違っていると、どんなにその後の論理が正しくても、辿り着く終着点は間違ったものになる。出発点である仮定を選ぶのは「勘」であり、その勘を磨くために必要なのは「経験」。
 藤原 正彦著「国家の品格」
kojima-dental-office.net/blog/20090306-1364#more-1364
 ②立ち止まって考え直す力=「再評価」
 「再評価」とは、ネガティブな感情を感じた時に一旦立ち止まり、その感情を客観的に再度「本当に今このようなネガティブな感情を感じる必要があるのか」と評価して、状況、または感情をポジティブな方向に持っていく心理的プロセス。
 自分から遠く離れた知らない誰かに対して怒りが湧き上がった時も、一旦立ち止まり、「再評価」をすることを勧めたい。
2.行き過ぎキャンセルカルチャー
 近年、今現在の感覚に照らして昔の言動が差別であるとみなされた場合などに、SNS上で責め立てられたあげく、その言動をしたものが作品発表の機会を失う、役職を辞退させられるといった「キャンセルカルチャー」も多く見られるようになった。
 オバマ元大統領もキャンセルカルチャーに関して警鐘を鳴らしている。「世の中を良くするためには誰かの非を指摘し、攻撃するしかないと考える若者も多く、SNSによってこのようなキャンセルカルチャーが加速しているが、それは変化をもたらすアクティビズムではない」と。「罪とは無縁で過去に間違いのない人などいない。とてもいいことをしている人にも欠点はある」。だから「相手に敬意を払って気遣うことが大事。判断を急いではいけないし、すべてを白黒はっきりさせなければいけないわけでもない」と、性急な判断の前に立ち止まって考えることの大切さを若者に対して政治イベントで語っていた。
 昔の作品や発言の差別的表現を過ちとして認識し、映画を鑑賞する機会をなくすのではなく、むしろ考えることを促す。批判への対応は、キャンセルか許容かの二択ではない。
3.「固定観念」の脳科学
 なぜ「固定観念」、あるいは「無意識の偏見」というのは、1回形成されるとその考えを取り払いにくいかというと、それは脳の仕組みに仕掛けがある。
 脳は効率主義で、何か新しいものを学ぶ時には多くのエネルギーを使い、習慣化したことに関しては「考える」エネルギーの消費を節約するようにできている。例えば、同じ道を何度も通るごとに、反復された脳内の神経回路が繋がって行き、ネットワークが増強されていく。そしてそれは「線条体」という脳部位を通して、「もうこの道については考えなくてもいいよ」という抑制シグナルを「考える」担当の脳部位である「前頭前野」に送る。これが「固定観念」という習慣。そのため、社会に置ける偏見や差別、固定観念のほとんどが「無意識」である。
 たまに違う場所に行かなければならなかった日に、うっかり普段通り行ってしまうのも、このネットワークを使って機能しているから。考え方を変えるためには、抑制のシグナルに対抗して前頭前野を活性化しなければならない。これはものすごくエネルギーを要する。
 ①「蚊に刺される」ことに似ている
 例えば、黒人女性は200回蚊に刺される間に、白人男性は1回刺されるだけだとすると、白人男性が「不快だが気にしない」に対して、黒人女性は耐えがたい苦しみに襲われ、「もうこんな痒みには耐えられない」と怒りを爆発させながら強力な蚊取りスプレーを撒いているかもしれない。しかし、その光景を見た白人男性が蚊に刺されにくい自分の特権には気づかずに、「ちょつとしたことなのに気にしすぎだ」「黒人女性は怒りっぽい」などという言葉かけたとすると、自分の苦しみが理解されないと感じた黒人女性の精神的な辛さはさらに増す。
 ②映る像が変われば、社会も変わる
 「同意」が対面する人とのコミュニケーションのあり方を考え直すもので、「アドボカシー」が現実や相手に働きかけて物事の変化を起こそうとするモメンタムで、「マイクロアグレッション」の認識が無意識のうちに持つ固定観念への気づきだとしたら、「表象」はその変化を下支えする「変化のエンジン」とも言うべきものだと思う。
 無意識の「差別」「偏見」「「固定観念」は生きる上での尊厳の問題と直結しているから、表現の現場が重視される。芸術や言葉を通しての「表現の自由」が保障されているからこそ、メディアや芸術を通しての差別表現には、一人ひとりの視聴者に責任があるとも言える。それら気づく努力をして、それを言葉にして議論を蓄積していかなければならない。
 差別というのはどの時代でも良くないことなのだが、差別や表現に関する認識が時代とともに変化することは必然であり、その進歩は素晴らしいことだと思う。時代に応じて移り変わる社会の中の思想や常識がメディアにおける時々の表象を生み出し、そこに映し出されるイメージが、視聴者や読者の考えやイメージ形成にも無意識に影響する。メディアと社会との相互作用が働くのが「表象」。メディアに映る像が変われば、社会に変化を生むエンジンにもなる。
C.脳科学で考える炎上のメカニズム
1.妊婦のワクチン啓発で気づいたThemとUs
 2020年、渡米14年目の医師として、また妊婦として、新型コロナパンデミックを経験した。
 アメリカのコロナ対策に関して、トランプ政権下の政府と一部メディアの「科学の無視」はひどいものだった。それによって、国内だけで100万人以上の方がコロナの影響で亡くなった。また、ワクチンがまだ存在しなかったパンデミック初期は、人々の生活は制限され続け、2020年のアメリカでは自分や家族の感染を避けたいと怯える毎日だった。
 妊娠34週だった2021年1月初旬に、ワクチンの安全性や有効性を示す知見の結果や、妊娠には影響を与えにくいと考えられるmRNAワクチンの仕組みを吟味して、ワクチンを接種できた時には、安堵の気持ちでいっぱいだった。
 後に続く妊婦さんのためになる情報を提供したい思いが強く、ワクチン接種をした妊婦の追跡研究に参加した。また、産生した抗体が胎盤を通ってお腹の中の赤ちゃんに渡り、赤ちゃんをもコロナ感染から守ってくれることを確認する研究にも参加した。
 私が妊婦としてワクチンを接種した2021年1月の時点で、日本では未だ新型コロナワクチンは承認されておらず、mRNAワクチンのメカニズムの説明もされない中で、漠然とした不安を抱えた方が多い時期だった。その状況の中で、「接種するリスク」と「接種しないリスク」を天秤にかけて説明をしてきた。その結果、社会に対して大きなポジティブなインパクトを残すことができた。日本のワクチン摂取率を世界有数の高さに上げることに貢献できたことを誇りに思う。
2.科学的事実のフェアな報道とは?
 科学においては、両論併記の意味は非常に薄い。「正確な事実」と「誤った認識」との白黒はっきりするケースが多い。科学的事実は、「議論」によって決まることではなく、エビデンスの「検証」が何よりも大切。「質のよいデータ」を集めること、「意味あるデータの処理や解析」が重要。
 幾重もの科学的審査と検証を経て推奨に至ったワクチンに「反対する派」が「慎重派」と呼ばれ、「ワクチン推奨派」と対等なグループとして意見が紹介されるのは、本当に「フェア」と言えるのか。
 両方の意見を提示しなければという努力を日本メディアでは多く目にする。この結果、科学的な検証を無視する人たちに不当な力を与えてしまったのではないかと思う。二つの極論の中間点が正しいわけではないにもかかわらず、論理のねじれによる心理操作の威力を感じる。多数決で正誤は決まらない、一つの例が全体を代表するわけではない。ある治療法がある個人に効いたという情報を聞き、それを以て全員に薦めるべきだと飛躍して考えてしまう方も少なくない。逆にある1例の治療失敗例を耳にして、治療自体をしない方がいいと感じてしまうこともある。
D.子どものメンタルヘルスに向けられる偏見に打ち勝つ脳科学
1.環境の影響を受けやすい生物学的な要因
 親がうつ病に罹患したことがある(うつ病の遺伝子を持つ)子どもと、うつ病の既往歴のない親から生まれた(遺伝子要因を持たない)子どもの脳機能を比べると、ネガティブな刺激とポジティブな刺激への脳の反応が違う。うつ病の遺伝要因がない子どもたちは、どんな表情でも同じ脳の反応を示したのに対して、うつ病の遺伝要因のある子どもたちはネガティブな表情に対しては、「感情を生み出す」扁桃体という脳の部位の活動がグッとあがり、逆にポジティブな表情に対してはあまり反応を示さなかった。つまり、うつ病の遺伝要因がある子どもたちは、日常生活の中で、誰かに怪訝な顔で見られたり、誰かのイライラした表情を診た際に、自分の感情が影響されやすい。
 何か悪いことが起きた時に他の人以上に感情が影響されてしまう生物学的な要因が既に脳の中にある。そのような脳の特徴がある人が、ネガティブな経験が重なるごとにうつ気分になりやすいのは脳科学的によく理解できる。
 脳の可塑性は素晴らしいもの。どんなに生まれ持った特徴やリスクがあっても、自分の感情を正直に受け止めこと、それに対応する考え方や感情のコントロールを練習することにより、うつや不安を軽減したり、回避できることもある。遺伝要因は一つの要因であるだけで、絶対的なものではなく、悲観的に捉える必要はない。
2.早期介入は必須なのか?
 世界的に、コロナ禍に生まれた子どもはそれ以前に生まれた子どもに比べて言語発達などのコミュニケーションの分野での遅れが目立つという報告がされている。発達の遅れは「一時的なもの」で、今後追いついてくる。
【参考に 論理のねじれ】
 ①Whataboutism(そういうあなたはどうなのよ?)
 Whataboutismは、相手の欠点などを指摘することで、本来の論点である自身の問題点に関する議論を避けること。アメリカに住むアメリカ人であっても日本に住む日本人であっても、解説するコロナウイルスやワクチンに関する科学論文の内容は変わらない。
 ②Strawman Strategy(藁人形法、かかし術)
 「かかし術」とは相手の論点に直接反論するのではなく、相手の論点とは違うダミー(かかし)のような論点を別に作り出してその「かかし」を攻撃する手法。ずれた論点に焦点が移り、本来の論点に関しては議論しなくてもいいような状況が生まれることもある、相手に向ける信頼を失わせることもある手法。
 「かかし」は本質の議論に取り組むことが、自分や自分のグループの非を認めることにつながる時、そして自分の非を認めたくないがために相手への反感が高まる時に無意識に使われることが多い。議論の最中にいる時にはなかなか気づきにくいのが「かかし術」。
 ③Gaslinghting(悪いのは被害者?)
 Gaslinghting(ガスライティング)とは、心理的虐待や嫌がらせなどの被害を受けている人に「実は自分が悪いのではないか」などと思わせる心理的な操作法。「被害」は思いこみに過ぎず、そう思う感性や心に問題があるかのような言い方をすること。自分が行ったいじめや虐待の責任は取らず、相手の「弱さ」にすべての責任を押しつける方法なども含まれる。
 大坂なおみ選手が「自分のメンタルヘルスを守るために」試合後の記者会見に応じないことを発表。この発言直後に、水着で表紙を飾るスポーツ紙が発売された。これを見て批判したメガン・ケリーを大坂選手はTwitter上でブロックした。メガン・ケリーは当時50歳のジャーナリストでしたが、見当違いの発言で23歳の大坂選手を傷つけた自分の非には目を向けず、大坂選手のブロックを取り上げて馬鹿にする姿には多くの批判が向けられた。公的機関でもない「個人」のSNS上で、自分の精神衛生を守るために、見たくない投稿や自分をいじめる人をブロックすることは何も恥じることではない。自身に嘲笑を向けるフォロアーに閲覧とコメントの機会を与えないようにした大坂選手の選択は当然のものだと思う。
 ④中道の誤謬
 「分断を超える」には双方の共感が必要なのは間違いないが、双方の対話や経験の共有の末に行き着く結論が、両極の意見の中間にあるわけではない、正しいわけではない。

 

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