のぼるくんの世界

のぼる君の歯科知識

音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む

2023年08月15日(火)


-プリチャアからピカチュウ、おっけーぐるぐるまで-
著者  川原繁人 専門は言語学、とくに音声学を研究
朝日出版社
2022年5月31日発行
1750円
 言語学は、人間が発する「音声」を研究対象とする。どのように舌や唇を動かして声を発するのか、その声はどのようにして聞き手の耳に届くのか、聞き手はその音をどのように解釈するのか、これらのメカニズムを解き明かすことが音声学者の使命。
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A.娘の言語発達に関する観察
 私が子育て中に出会った言葉の面白さや、子どもの言語獲得を見守る中で再発見した言葉の不思議を中心にお話ししたい。本書の最も大事な目標は知的好奇心の扉をノックすること。
 お母さんたちの赤ちゃんへの話し方は、声が高くなったり、「あんよ」や「くっく」など独特の単語を使ったりといろいろな特徴がある。それらは音声学の観点からするとすべて理にかなっている。
 1.赤ちゃんが最初に身につける子音ってなーんだ?
 両唇音は「赤ちゃんの音」。生後数ヶ月で赤ちゃんは言葉を発する練習を始める。最初は喉を鳴らすような「クーイング」という動作から始まり、この頃は母音っぽい音しか発しない。そして個人差はあるが、6ヶ月あたりから子音っぽい音を出すようになる。この時期に赤ちゃんが発する音は「喃語」と呼ばれ、両唇を使う音が多く現れる。
 現代言語学や語学に多大な影響を及ぼした言語学者のヤーコブソンは、いろいろな環境で育つ赤ちゃんがどのような順番で音を獲得していくかを調査した。フランス語、英語、ドイツ語、エストニア語、オランダ語、スカンジナビア諸語、そして、日本語に至るまで調べた結果、どの地域の赤ちゃんも両唇音から発し出すことが分かっている。
 ①どうして赤ちゃんは両唇音が得意なの?
 ・赤ちゃんのお仕事といえば?
 子供の体の構造は大人と異なっていて、それには生物学的な理由もある。例えば、大人は液体を飲みながら同時に呼吸はできないが、赤ちゃんはできる。母乳やミルクを飲む時に窒息しては困るから。
 母乳を飲むには唇を使うため、赤ちゃんは唇を動かす「口輪筋」という筋肉が発達している。よって、唇を動かす両唇音が赤ちゃんの得意技となるのも自然な帰結といえる。母乳を吸う時には、舌も使っている。乳首を上顎に押しつけて舌を前から後に引いている。
 参考に
 演題  「小児の口腔機能発達の栄養行動発達への影響」
kojima-dental-office.net/20150726-1159#more-1159
講師  横浜市歯科医師会 横浜市青葉区開業 元開富士雄先生
  ・授乳中は下唇のみが下顎と舌運動に連動して運動するが、
    上唇はほとんど動くことない
 ・「ママ」って何で「ママ」っていうのかしら?
 哺乳行動から発したと考えられる言語現象は少なくない。母乳を吸っていると両唇が塞がる。赤ちゃんは母乳を飲みながら同時に呼吸できるのだが、口が塞がっているため自然と鼻呼吸になる。両唇が塞がって鼻から息がでれば、出る音は必然的に「m」になる。このような「口を閉じて、鼻から空気が流れる」というような「発音の仕方」のことを「調音法」と呼ぶ。
 日本語の「はは」や「おかあさん」という単語は不自然で、現代の多くの家庭で使われている「ママ」のほうが、音声学的には理にかなった呼び方。
 ②赤ちゃんはNoもお得意!
 世界中の多くの地域で「No=頸の横振り」が成り立つ。ただし、ブルガリアなどの一部の地域では、頸を縦に振るから、旅行する時には事前の注意を怠らないように。
 娘の観察ノートに「1歳2ヶ月、ようやく頸を縦に振るのを覚える。横の首振りは前から」という記述がある。
 生まれたばかりの赤ちゃんは首が据わっていないので、抱く時には優しく首を支えてあげなければならない。この状態では赤ちゃんは首を縦に振ることが出来ない。
 2.発音の発達
 ①「ダ行」が「ラ行」に、「ラ行」が「ヤ行」に置き変わる
 でも→れも・だよ→らよ、いらない→いやない・やらして→ややして。子どもの発話に観察される「言い間違い」は、「子どもの能力の欠如ではない」。「ダ行」だったら「ヤ行」、「ラ行」だったら「ヤ行」と、しっかり「ダ行」と「ラ行」を聞き分けている。子どもなりの理屈を以て音声を発していることは間違いない。「大人の理屈を押しつけず、子どもなりの考えを尊重することが大事」。
 ②調音法 どうやって発音しようかしら
 はじき音は、舌によって口腔が一瞬閉じる。日本語の「ラ行」の子音が典型的。非常に短く発音するため舌を素早く動かさなくてはならないので、子どもにとって「ラ行」は難しい。結果として「ラ行」を長めに発音してしまい「ダ行」に聞こえてしまうことがある。「トイレ」を「トイデ」と発音してしまう。
 ③有声性 あなたの声帯はしかどうしていますか?
 無声音を発音するためには、声帯を積極的に動かして大きく開かなくてはならない。そのため、幼児は[p]、[t]、[k]などの無声音をはっきり発音できないこともある。子どもにとっては、声帯を意識的動かさなくても自然な状態で肺から口に空気を送ると声帯が勝手に振動してくれる有声音のほうが自然に発音できることが多い。
 もしお子さんの「バ行」「タ行」「カ行」などの無声音がたどたどしくて有声音のように聞こえてしまっても、声帯を開く練習をしていると思って、優しく見守って欲しい。
 ④摩擦音
 赤ちゃんは摩擦音が発音できるようになるまで時間がかかる。3歳になる直前まで「ぞうさん」を「どうたん」と発音する。
 3.子どもの言い間違いを直さない
 小学校にあがる前くらいの子どもが「ある音を言えない」は自然なこと。口や喉などの構造が大人のそれに近づくにつれ、多くの場合「言い間違い」は直っていく。ただし、こちらも重要なことだが、言い間違いがあまりに長い間続くようであれば、言語障害という可能性もあり得るので、言語聴覚士に相談して欲しい。
 ①全部言わない。言えないんじゃなくて言わない
 子どもは長い単語を省略し、全部発音しない。「言えない」のではなくて「言わない」のだと思う。心地良いリズムがあって、それに合わせて単語を発音していたと考える方が自然。子どもなりの「ちょうどいい長さ」がある。
 子どもの発音には子ども独自の規則があり、それには音声学的にもっともな理由がある。言語学の観点からは、「子どもは、大人にとっては簡単なことができない未熟な存在」というふうに考えることは間違いだと思う。
 【2文字文の長さ】
 日本語の自然な発音では「2文字文の長さ」が最小。1文字の単語は助詞が付けば、それで2文字という最小単位を満たすが、助詞が落ちたら、自分自身が伸びて2文字文の長さの音になる。たとえば、ちが出た→ちぃ出た。
 ②あたしの「ぐみ」
 「くみ」を「ぐみ」とする勘違いは、子どもにしてみれば当たり前の発想である。「うさぎぐみ」「たんぽぽぐみ」なのだから、「組」は「ぐみ」と発音すると考えるのが自然。組名から共通要素の「ぐみ」を抽出したことを褒めてあげるべき。
 日本語では、二つの単語をくっつけて新しい言葉を作る時、2番目の語頭に濁点が付くことがある。音が何かのきっかけで変化することを「音韻変化」と呼ぶ。「くみ」が「ぐみ」になる音韻変化を「連濁」と名前が付いている。平安時代の国学者・本居宣長も著書「古事記伝」の中で言及。
 ③「いっぴき」「にぴき」は間違いなの?
 「いっぴき」「にぴき」も破壊力抜群の言い間違い。「ひ」と「ぴ」には、不思議な関係があって、「ひ」の前に「っ」がつくと「ぴ」に変化する。逆に「っ」がついていないと「ぴ」は「ひ」に戻る。これは「は行」と「ぱ行」全体に言える。
 「いっぴき」「にひき」の次は、「さんびき」。「ん」の後の破裂音([p]、[t]、[k]など)には濁点が付きやすい
B.教育法
 1.聞き分け
 ①[l]と[r]
 日本人が苦手とする「r」「l」の区別。医療機器のMRIを使って分析すると、「r」では舌尖が真上に上がっていて、「l」では舌尖が上の歯の裏側に押しつけられる。
 日本で育とうがアメリカで育とうが、生後6~8ヶ月くらいまでの赤ちゃんは、[l]と[r]の聞き分けができることが実験で示されている。生後10~12ヶ月くらいになると、アメリカ人の赤ちゃんは聞き分けが上手になっていき、日本に住んでいる赤ちゃんは逆に、聞き分けが苦手になっていく。
 自分の母語において何を無視していいのか、何を無視してはいけないのかを学ぶことは、言語習得の大事な一側面。[l]と[r]の聞き分けられなくなる、というのは日本語を身につける上で大事なことであるとさえ言える。あまり英語教育のことを気にして、赤ちゃんを混乱させるのはいかがなものか、と音声学者は考えている。日本で育つ赤ちゃんは、大人が話していることばを理解するために区別をつけない方がいい。
 赤ちゃんの言語習得の天才。「赤ちゃんは、生まれた時には何でも聞き分けられていて、だんだんその能力が失われていく」というのは定説ではあるが、この研究は英語圏でなされた研究結果が主たる証拠となっている。日本でなされた研究では、「来た」vs「切った」などの「短い音」と「長い音」の赤ちゃんの聞き分けに関しては「初めはできないけど、だんだんできるようになる」という結果が報告されている。英語圏で生まれた理論の影響力はあまりに強く、この日本語話者を対象になされた研究結果は例外的な扱いとされている。
 客観性を目指す学問の世界でも英語中心主義が幅を利かせているわけだから、現実世界ではなおさらだろう。子育てにおいても、「アメリカで一般的である」からといって「正しい教育法」であるとは限らない。
 ②英語の「sh」と日本語の「シャ」
 日本語の「シャ」の子音[ɕ]は「歯茎」と「硬口蓋」に渡って発音されるため「歯茎硬口蓋」と呼ばれる。英語の「sh」の子音[ʃ]は「後部歯茎」と呼んで、調音点が違い区別する。日本人が英語を発音する時に十分[ʃ]っぽく聞こえず、日本人なまりの原因のひとつになる。なまりの緩和には、無理して舌の位置を調整しようとするよりも、意識して唇を丸めると効果的。
 ③日本語の「ふ」と英語の「f」
 日本語の「ふ」の子音部分は、英語の「f」に似ているが少し違う。英語の「f」は上の歯が下唇に当たるが、日本語の「ふ」の子音は両唇が丸くなるだけで、[ɸ]という記号を使って厳密に区別する。
 2.音声学者、中学受験での惨敗を振り返る
 小学3年生からの4年間を受験勉強に捧げたにもかかわらず、第一志望、第二志望、第三志望と3連敗。受験直前、塾の先生に「一生懸命勉強して、落ちるのが一番いい」と言われた。今思えば、その先生は正しかった。第一志望に合格して失敗を知らなかったら、自分が優秀なヤツだと勘違いをして、努力をしない人間になっていた気がする。自分の能力に疑問を感じているから、今も勉強を欠かさない。謙虚な気持ちでいろいろな分野の人と垣根なくコラボできる。
 父には、受験に落ちたことを責められた覚えがない。結果はどうあれ、努力そのものを認めてもらったということだろうか。自分が同じ立場だったら、同じことができるか不安。
 3.音声学者、英語教育への思いを語る
 中学3年生の時に、ドイツに2週間の強制ホームステイ。この経験が私を変えた。英語で異文化に触れ、日本語を使わずになんとか意志疎通を図れることがなんと楽しいことか。とにかく英語を学ぶのが楽しくて、文字通り英語を浴びるような生活を送っていた。
 初めてアメリカに留学したのは大学3年生の時。カリフォルニア大学サンタクルーズ校に1年間交換留学した。人生で初めて自分が好きなように好きなだけ勉強していいという感触を得た。楽しかったから、英語が好きになった。自分が英語を好きになったのは楽しかったから。無理に勉強させても逆効果。
 英語を学ぶよりも、先ず物事を自分で考えられるようになることが大事。将来は、英語「を」学ぶのではなく、英語「で」学ぶようになって欲しい。
 内側から湧き出てくる好奇心を育むことの方が、勉強を仕込むことよりも重要。このために意識していることは「なぜ」に真摯に答えること。分からない時は「分からない」と言う。調べて分かることは一緒に調べる。それ以上は説明できない原理まで辿り着いたら「説明できるのはここまで」と認める。研究者にとって「なぜ」という姿勢を保つことは非常に大事。

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