モロッコ大周遊12日間
2024年12月16日(月)
初めてのアフリカ大陸、初めての砂漠、初めてのラクダ。モロッコへは砂漠の旅人かなと思いきや、イメージ一新。海岸部は、地中海性気候に属し、一年中穏やかな気候。アトラス山脈を越えた内陸部が砂漠性気候。モロッコは、農業国であり、穀倉地帯。カサブランカをはじめとする大都会には、ビルが建ち並ぶ。
いま、話題の青の街シャウエンや迷路のフェズ旧市街、 カオスなマラケシュのジャマエルフナ広場を体験。定価のないお気に入りを買い求めるやりとりや値切り交渉を楽しんだ。また、映画の世界観も堪能。名台詞「君の瞳に乾杯」で有名なアメリカ映画「カサブランカ」を再現するために設計された酒場「リックス・カフェ」で夕食。クレオパトラ、ベンハー、ハムナプトラ、インディ・ジョーンズ、グラディエーター などなどを撮影した「アトラス・スタジオ」も見学。
高校の世界史でも習わなかったモロッコの歴史や宗教観にも触れる。歴代王朝とその都、カラカラ帝時代のローマ遺跡、スペイン・フランスやオスマントルコなどとの関係。
次回訪れるとすれば、エッサウィラの街で泊まって可愛い街並みを散策し、芸術を満喫したい。ポルトガルのナザレにも立ち寄りたい。
モロッコの台所
kojima-dental-office.net/blog/20241128-19939
モロッコは日本と似通った点がある。1つは、石油や天然ガスをほとんど産出しないこと。もう一つは、隣国の軍事政権アルジェリアと国交を断絶していること。それ以降、アルジェリア産天然ガスの輸送が、完全に止まり、モロッコを取り巻くエネルギー環境は、ますます厳しさを増している。しかし、相違点は、脱炭素化社会に向けて、ポテンシャルの高い再生エネルギー推進を国家戦略の重要課題として位置付けていること。
モロッコは、治安水準が高く、政治的にも安定している。立憲君主制であり、対話重視の国王と、透明性ある効果的な議会運営がなされている。
政治経済の安定するモロッコ
www.jccme.or.jp/report-46/pdf/16.pdf
0日目 事前準備
今回のスマホの海外対策は、ドコモ海外利用「世界そのままギガ」ではなく「グローバルWi-Fiレンタル」を使うことにした。それに伴う切り替えやシミュレーションを確認する。また、ロストバケージ多発に備えて、パジャマや1日分の着替えのための機内持ち込み用のバックをトランクとは別に用意する。
グローバルWi-Fiレンタル ¥27,922
1日目 12/5(木) 霰
お昼に、内灘を出発し、金沢駅の白山そばにて白海老かき揚げそば。北陸新幹線と成田エクスプレスを乗り継ぎ、成田空港へ。3F出発ロビー、阪急交通社受付カウンターで手続きをして、エミレーツ航空カウンターにてトランクを預け、搭乗券を受け取る。手荷物検査、税関、出国審査を済ませ、ラウンジでのんびり休憩。揚げたての天ぷらが美味い。搭乗口へ。時々動かなくなるのでピカチューの腕時計を購入。今回は7人のツアー。
雪は降っていなかったが、雪のため30分遅れるとアナウンス。翼を水銃で洗っているのが見える。ドバイへ。夕食は、ラウンジで食べたので、軽く寿司とうどん・そばをチョイス。冷凍かな?映画見て就寝。
エミレーツ航空の総2階建て巨大機「エアバスA380」
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%90%E3%82%B9A380
2日目 12/6(金) 晴れ
早朝、ドバイに30分遅れで到着。AエリアからCエリアへバス移動後に手荷物検査を済ませ待機。カサブランカへ30分遅れで飛び立つ。時間通りではないことを受け入れる。「ウォシュレットなし」、日本の日常とは違うことに慣れないといけない。朝食は、フルーツとコーヒー。機内ラウンジで気晴らし、ナッツをつまみ、ビール。うとうとと気持ちよく昼寝。昼食 は、スープとラム肉。21時間の空の長旅、乗り継ぎを合わせると丸Ⅰ日かけてカサブランカに40分遅れで午後1時頃(時差-8時間)に到着。
トランクを受け取り、出国審査。アフリカ、モロッコの地に初めて足をつける。空港内でモロッコ通貨(1ディルハムが約16円)へ3万円を両替。暫くすると、お祈りに行ったのか、4つの窓口が1つになり、大行列になった。
現地ガイドのハッサンさんとご対面。バスの運転手さんとその助手さん、10日間よろしく。一路、ラバトへ。
首都として整った綺麗な街、緑の豊かな首都ラバト。四角に刈り込んだ並木が印象的。街のあちこちをカスバ(砦)がとり囲む。
【世界遺産】ラバト観光
skyticket.jp/guide/75389/
moroccodoko.com/rabat/
先ず、カスバに囲まれたハッサンの塔へ向かう。城壁のボコボコした穴は建設中に足場の杭を打ち込んだ痕。正門、裏門2カ所に立つ騎兵がかっこいい。12世紀末、ムワッヒド朝のヤークーブ=アル=マンスールが、西方イスラム世界最大のモスクを建設するという野心的なプロジェクトを試みたが、彼の死によって工事は中断した。敷地内に残された作りかけの壁と300本の柱などから、モスクの潜在的な規模と壮大さを明確に示している。モスクは12の入口からなる183m×139mの大きさで、その内部には21の部屋が作られる予定だった。モスクと並んで建てられたハッサンの塔も、当時世界で最も高いミナレットも 1199 年に中止され、予定されていた 86 メートル (260 フィート) の約半分となった。見事なアルモヒド建築様式であり、その荒々しい幾何学的なシンプルさと頑丈なフォルムが特徴。1755年のリスボン地震の揺れにより、未完成のミナレット、頑丈の壁やいくつかの遺跡だけを残して倒壊した。
ハッサンの塔
privatedrivermorocco.com/ja/hassan-tower/
隣接するモハメッド5世廟の門が開いていなくて中には入れなかった。王国なので何故かは聞けない、偉い人が来てるのかな?翌朝もう一度トライすることになった。
夕方、ホテルに到着。湯船の栓がなくお湯が貯められなかった。お湯に浸かる習慣なく必要としていないのだろう。今夜はシャワーのみ。
ラバト ファラーホテルラパト
resort-tabi.com/morocco/farahhotelrabat.html
夕食は、ホテルでバイキング。モロッコについて初めての食事は、タジン鍋。カサブランカビール200mlが70ディルハム(1120円)。アルコールを飲まないから高いのかな。
時差の関係なのか、8時半(日本時間では早朝3時半)に就寝。
タジン鍋
www.osaka21.or.jp/web_magazine/nabe/yomoyama/bunmei/story07.html#:~:text=%E3%83%A2%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B3%E3%81%A7%E3%81%AF%E9%A3%B2%E6%96%99%E6%B0%B4%E3%81%AF,%E3%81%9F%E3%81%A8%E4%BC%9D%E3%81%88%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%EF%BD%A1
砂漠の先住民であったベルベル族が、できるだけ水分を使わず煮込み料理を作るために考え出したと伝えられている。
3日目 12/7(土) 曇り時々晴れ 7~20℃
早朝4時半に目が覚める。身支度してホテルの外に出てみると、霧の中にムハンマド6世タワーが薄ぼんやり見える。朝食にもタジンが並ぶが、食べ慣れた物を選ぶ。
明るくなってきた。日の出8時、日没6時。バスに乗り込む。サバハラヘル(おはよう)、ショクラン(ありがとう)。先ず、昨日入れなかったモハメッド5世廟へもう一度。9時の開門を待つ。霧が幻想的。温かくなり、水蒸気が一気に舞い上がる。王室の衛兵さんたちが要所に出勤してきた。騎兵も定位置に。さあ開門。
ムハンマド5世廟は一般公開されている。イスラム教徒以外でも入館できるモスクや廟は、モロッコでは貴重。国が誇る英傑の偉大さを、世界中から訪れた観光客が知る場にもなっている。現国王の祖父にあたるムハンマド5世は、フランスからの独立運動を指導したため、一時はスルタンの座を追われ、マダカスカルに亡命しながらも国民の人望を集め、1956年、見事にモロッコを独立に導いた建国の父。外観は装飾された真っ白な大理石とピラミット型の緑色の屋根が特徴。内部は目を見張る華やかさ。天井と壁は繊細な彫刻が一面に施され、まるで伝統工芸の粋を集めた美術館のよう。モザイクタイルも綺麗。天井には壮大な金色のシャンデリア。廟内中央にある石棺がムハンマド5世のもの。
ムハンマド5世廟
crea.bunshun.jp/articles/-/9552
次に、行ってみたかったシャウエンへ。道路の舗装幅が狭く、大型バスはギリギリ、バイクは舗装の外側へ追いやられる。舗装のやり方に問題があるのか、バスがかなり揺れる。交差点は、信号ではなくロータリー。草原の所々に畑や果樹林が作られ、灌漑水路も見られる。トイレ休憩を挟む。香り高いミントティをクッキーと一緒に頂く。ミントティは10時から4時、5時になるとコーヒーになるそうだ。黒コショウや多種多様なスパイスを入れたスパイスコーヒーも飲まれるそうだ。
4時間かけてようやく標高1300から1400mの山間の町シャウエンが眼下に見えてきた。城門をくぐると、いよいよ青の町、シャウエン。先ずは、昼食。アボカトとエビのサラダ、パエリア。町には、アルコール提供するホテルや飲食店はない。唯一1軒の酒屋では、小さなビール1本が約5000円。ひぇー高い。
さあ、幻想的な雰囲気が漂う旧市街の狭い路地を散策。400年以上にわたって異教徒の立ち入りを禁じてきた、神秘のベールに包まれた街。白と青色の世界は写真スポット満載。グランドモスクの前広場には商店や露店が建ち並ぶ。昔は白いペンキだったが、25年くらい前に青いペンキを塗る人がいて、その色いいねと段々広まったそうだ。町で見かけた画家が営む店で青くなる前のシャウエンの街の絵をお土産に。屋根裏の木組みやその当時の町の様子がよく分かる。シャウエンを望む高台のフォトスポットに立ち寄り、見納め。
シャウエン
hotels.his-j.com/ct/tripiteasy/post-11398/
www.veltra.com/jp/guide/international/spot-international/51016/
シャウエンの町の中に大人数が泊まれるホテルがなく、少し離れたホテルへ。お洒落なコテージタイプ。シャウエンの町の明かりが綺麗。管理棟、レストランへの道に迷う。シャワーのみで、しかもボイラーが遠いのかなかなかお湯が出てこない。夕食はバイキング。お皿が綺麗。アルコールなしも覚悟していた。
4日目 晴れ時々曇り 7~20℃
モーニングコールより早く目を覚まし、ゆっくり朝食。バスに乗り込み、シャウエンよりボルビリス(165km、約3時間30分)へ。途中にトイレ休憩2回、2ディルハム。コーヒーは、30ディルハム。灌漑設備があるところは畑に、設備のないところにはオリーブの木、オレンジより乾燥に強い。オリーブの木には、オスとメスがあり、2本一緒に植えてある。
ボルビリスに到着。ベルベル語のキョウチクトウ(この辺りにありふれた花)から名付けられた、毒性あり。ローマ時代のボルビリス古代遺跡は、ほんのわずかしか発掘されていない、まだまだこれから。紀元前40年頃ローマ帝国の属国として生まれた都市。この地は肥沃で、小麦やオリーブオイルなどを多く産出した。それはローマへと出荷され、この町に富と繁栄をもたらした。217年にはアントニヌス勅令を発してくれたカラカラ帝への感謝を捧げた「カラカラ帝の凱旋門」が建造された。真っ直ぐ伸びる幅広いメインストリートとバシリカ(長堂)や公衆浴場も。
アントニヌス勅令
www.y-history.net/appendix/wh0103-084_1.html
帝国内のすべての自由民にローマ市民権を与え、ローマ法をすべての人に適用する万民法としたもの。ローマ市民権の拡大をはかったものであるが、同時に相続税の増収を図るという狙いもあった。
イタリアの旅2018.2.13.カラカラ浴場
kojima-dental-office.net/blog/20180216-8595
階級により通りに面していたり敷地の大きさが異なる。貧富の差が如実に表れている。オルフェウスの家と中庭に残るモザイク画は見事。中央の敷石の下には下水道が完備。オリーブオイルの油絞り器の解説が面白い。絞り器のくぼみにオリーブの実を投入し、取っ手の着いた石で絞り、絞られたオリーブオイルは溝から流れでて横に溜まる。
【世界遺産】○ボルビリス古代遺跡観光
skyticket.jp/guide/115054/#:~:text=%E3%80%8C%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%80%8D%E3%81%AF,%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E7%94%9F%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%9F%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82
次は、モロッコ王国最初の首都、メクネス(32km、約1時間)へ。昼食は、レストランで、モロッコサラダ、イカタジン、クレープ。
古都メクネスは、1666年にイスラム教国のアラウィー朝の都としてベルベル人が築いた。国王ムーレイ・イスマイルがヴェルサイユのような街に変えようと大規模は改修、イスラム文化とヨーロッパ文化が合わさったイスパノ・モレスク様式、しかし、王はこの都が完成する前にこの世を去り、息子は都を遷都。
【世界遺産】古都メクネス
skyticket.jp/guide/116933/
ムーレイ・イスマイル廟の門が閉まっていたので、北アフリカで最も美しい門、マンスール門へ。メクネスの入り口の役目を担い、エディム広場に面している馬蹄型の大きなアーチ。修復中で足場が組まれていた。それでも垣間見られる青や緑の美しいモザイクと彫刻は素晴らしかった。工事中で塞がれていたので、ぐるりと歩いて回り再びエディム広場へ。コウノトリが巣を作っている。門の裏側は質素。まだイスマイル廟が開いていないので、広場の横にある街の真ん中のゴルフ場へ。誰がするのかな?
この国は門がいつ開くのか、何故開かないのかがよく分からない。やっと開いた、いよいよムーレイ・イスマイル廟。一部を除いて非イスラム教徒でも見て回ることができる。壁や天井に施されているモザイク、漆喰彫刻の美しさと繊細さはさすがに素晴らしい。イスラム文化最高傑作。お墓の四隅に、友のルイ14世から贈られた時計が置かれている。帰りに特別にトイレを使わせてもらう。
ムーレイ・イスマイル
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%AB
フェズ(65km、約1時間30分)へ向かう。夕方、ホテルに到着。フェズの旧市街が見える部屋に2連泊。夕食はバイキング。3日も続くと飽きてくる。タジン鍋も。
フェズ泊 ルメリニデス
les-merinides.hotelfesmorocco.com/ja/
5日目 12/9(月) 晴れ 5~19℃
ゆっくり起きて、のんびり朝食。
ひっそりとしかし固く伝統を守ってきた強さと穏やかさをあわせ持つ、象牙色の街フェズを1日歩く。モロッコはここから始まった。多くのモロッコ人にとって精神的な首都。約1000年の間、閉ざされていた町。1912 年まで非イスラム教徒の立ち入りは一切禁止され、2005 年まで宿泊することもできなかった。迷路に詳しいフェズだけのガイドが加わる。松田聖子が歌う迷路マラケシュの比ではない、地図やナビは全く役に立たないとガイドは言う。4日後に訪れて納得する。先ずは、王宮。現在も国王がフェズに滞在する時に使用する。その時はピカピカに正門が磨かれる。内部は、一般公開はされていない。正門は美しく、観光スポットになっている。バスで高台に移動し、フェズの全体像、位置関係を確認する。丘に密集する小さな家々の風景もとても素敵。
さあ、美しい城門、ブージュルード門をくぐって、8世紀末イドリス朝の創始者が川沿いに建設した旧市街へ。伝統的な工芸職人の街でもあり、巨大な市場でもある。縦横無尽に迷路が張り巡らされている。現地ガイドさんが助っ人の道案内人を雇ったことも頷ける。
まず、職人の街。タイルやモザイクそして陶器の製作過程を見学する。モザイクに使用するタイルは、下書きした通りに大きな斧のような器具で精密に割っていく。フェズブルーが素敵。
そして、タンネリ(革なめし職人地区)へ。中世以来続く伝統の「皮なめし」は天然のままの手法で、強烈な臭いがする環境で仕事している。紛らわすために、ミントの葉を渡されるが、そんな物ではとても耐えられない。最初の白の瓶が一番きついらしい。皮を染める染料を入れた瓶は、まるで巨大なパレットのようだ。2階、3階が革製品のお店になっている。トルコより1桁以上安かった。
タンネリ(革なめし職人地区)
www.teestyle.jp/country/morocco/fez/spot/spotFEZ170119.html
また、糸の染色工房も革染職人エリアも大量の水を使っている。根気がいる銀や銅の篆刻(てんこく)の技術も素晴らしい。卓越した技術に誇りを持ち、親から子へ代々受け継がれている。働く気になったら作業を始め、集中力がなくなったら止める。仕事時間を決める自由がある。
巨大な市場には、肉、魚、野菜、果物が豊富に並んでいる。特に、肉の大きな塊が印象的。また、家庭でこねたパン生地をパン焼き窯で焼いてあげる仕事も面白いシステム。パンを売っているわけではない。
町中のパンが集まるモロッコの共同窯
note.com/tomoko_koyama/n/n0b26c3af9ec1
【世界遺産】フェズ観光 5時間
spaceworld.jp/column/fez/
昼食は、レストランで、モロッコサラダ、鰯のつみれタジン、オレンジ・バナナ。
食後に、先ず迷路の中にある北アフリカ最大級のモスク、カラウィンモスクにたどり着く。異教徒は入館できない。9世紀から1000年もの年月をかけて改装・改築され、その歴史の中で祈りから学問の場へ、世界最古の教育機関として自然科学、医学、数学、化学、天文学など多彩な学問を学ぶ場と発展し、現在でも大学として登録され、現存し継続的に活動している。
次に、助っ人の道案内人の指示通りに歩き、婚礼衣装の通りを抜け、ムーレイ・イドリス廟へ。モロッコの立役者でありフェズの創始者、イドリス1世の霊廟、フェズの聖域ともいわれる修道院。世界遺産の暫定リストに登録。聖なる遺産の魅力を半減させないようにマナーと節度を守って、ガイドさんの指示を待つ。一瞬扉を開けてくれる。厳かな内部を垣間見る。
吹き抜けや天井の木組みを楽しみながら、どこをどう歩いたかは分からないがフェズの迷路を抜け、再びブージュルード門にでてきた。それをくぐり、14世紀のマドラサ(イスラム神学校)、ブーイナニア神学校へ。現在も世界各地からの学生を受け入れ、卒業後、導師やモスクの指導者となる。観光客が入場できる数少ない施設。イスラム建築の傑作。大理石のシンプルな床に、緻密な彫刻の壁面というコントラストが特徴的な中庭。修復の痕が所々に見られる。建物奥に祭壇があり、メッカに向いている。
ハメットさん宅でミントティーの作り方を体験。緑茶を3度も繰り返しミントの葉に注ぐ。大根の形をした砂糖の塊にビックリ。さらにタンバリンなどのおもてなしを楽しむ。
ホテルへ戻りのんびり。今日の夕食は、セットメニュー。スープ、牛肉と魚の串、フルーツ。美味い。
6日目 12/10(火) 晴れ 5~18℃
早く起きて、朝食をとる。今日は、地中海・大西洋からアトラス山脈を越え、サハラ砂漠までの460キロ、9時間のバス移動日。夜が明ける8時に出発。
10時頃、植林された高い木がある、美しい高原(標高1,600mほど)の作られた街イフランにて休憩。ナスナス(カフェオレ)25ディルハム。ゴミのない綺麗な街。大学がある。それに 、もう一つ、1925年まで中部アトラスにもライオンがいた事を記念する像、アトラスライオン像。バーバリーライオンは絶滅したと言われていたが、モロッコ・ラバトのムハンマド5世の私的動物園で飼育され、全世界で確認されている個体数の半数にあたる32頭の個体群が生き残っている。映画『ライオンキング』に登場する悪役、スカーはバーバリライオンがモデル。
町に入る少し手前で休憩。羊を飼っている。緑の山々が見えるが、道路脇には荒野が広がる。アトラス山脈が近づいてきた。
お昼は、ミデルトにあるホテルTADDARTのレストラン。ハリラ(スープ)、鱒料理、アップルパイ。特産のリンゴの生絞りジュースが美味い。
アトラス山脈を越えると風景が一変、木々がなくなり禿げ山。岩漠→土漠→砂漠。広大な荒れ地の各所に太陽光発電で水をくみ上げナツメヤシを栽培している。水がなくてもオリーブよりもっと育つ。グランドキャニオンと呼ばれるズイズ渓谷、マスの養殖模しているハッサン1世ダムとダム湖、そして、農業灌漑で広くなったズイズオアシス。ダムができて地下水が増えてオアシスも大きくなったそうだ。ナツメヤシだけでなく、野菜も育つ。作りたてのナツメヤシドライフルーツ直売所で休憩。
メルズーガの町からホテルに向かう途中できれいな夕陽。サハラ砂漠内のホテルに到着。部屋の鍵が開かない、鍵が抜けない。コツが分かるまで四苦八苦。部屋が広く、シャワーやトイレが遠い。夕食は、オーベルジュ(料理を楽しむことがメインした宿泊施設)でバイキング。鶏のフライが美味しい。明日は砂漠の朝日鑑賞だから早く寝よう。
メルズーガ泊 カスバホテルトンブタトゥ
www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g946425-d1212329-Reviews-Kasbah_Hotel_Tombouctou-Erg_Chebbi_Meknes_Tafilalet_Region.html
7日目 12/11(水) 晴れ 3~17℃
早起きして、極暖の下着を着て、荷物を最小限にして、オレンジ色のメルズーガ砂丘へ出発。先ず、懐中電灯で足下を照らしながらラクダの基地へ。観光用のラクダは、すべてオス。現地ガイドさんとはここまで、ここからはネイチャーガイド。お互いの領分は侵さない。ガイドライセンスには2種類あり、ネイチャーガイドと街のガイドがある。
ラクダ15分往復で7000円、45ユーロ、50ドル
+チップをラクダの使いとネイチャーガイドに合わせて20デイルハムまたは2ドル
ラクダに乗り降りするときの注意を受ける。後足から立ち上がり、その次に前足をのばして立ち上がるので、腕を伸ばして踏ん張り、前に転げ落ちないように乗るときも下りるときも気をつけた。行きは真っ暗な道を7頭が繋がって進んでいくので、初体験のこともあり緊張した。馬より横揺れがあり、時々急に身震いのような動きもあり、特に下り坂では振り落とされないように持ち手をしっかり握り、かなり手に力が入った。カメラは砂粒が入ると動かなくなることもあると言われて持って行かなかったが、無風だったのでそこまでしなくても良かった。
ラクダを降りて、朝日を見るために小高い砂丘を登り始めたが、さらさらな細かな砂のため足が滑って踏ん張りが利かず足が上がらず、心臓バクバクで一向に進めない。ラクダ使いに手を借りてやっとの思いで頂上に到着。現地ガイドさんがチップをはずんだのか一番高い丘だった。日の出を待つ。暗い時間から出発し色彩が美しく変化していく感動的な景観で最高の日の出だった。今回の旅で一番思い出深い1時間だった。ネイチャーガイドの青年が砂の上に楽しそうに絵を描いてくれた。女性陣は、ヒジャブで髪をまとめたあと、目以外をスカーフで覆う「ニカブ」のやり方を伝授されていた。下方に、おとなしく待っているラクダや他のグループが見える。
アバヤ、ヒジャブ、ニカブ
www.asahi.com/and/article/20220830/421692857/
サハラ砂漠の朝日鑑賞≪歩く度:1≫
tabicoffret.com/article/78118/
注意点
・砂地を片道15~20分程度の徒歩移動(スニーカーや運動靴)
・小さい懐中電灯があると便利
・カメラやビデオは砂漠に落として破損しないよう、ストラップなどをつけて
・天候等によりご覧いただけない場合や中止の場合もある
夜が明け、明るくなった砂地をラクダに揺られてホテルまで戻る。軽く朝食。パン、コーヒー、トマト、目玉焼き。
トドラ渓谷(200km、4時間30分)へ移動。見渡す限り何もない真っ平らな荒野を走る。所々に強い草がわずかばかりに生えている。山々には木が生えていない。
大理石工房を見学。巨大な石を切削する機械や研磨機が使用されていた。大きなテーブルや壁の石材を製作し販売している。アンモナイトの化石を封入した大理石をお土産に。
途中、1970年から雨が降らず枯れてしまった、砂漠の地下用水路カナートを見学。見渡す限りに蟻塚のような小山が転々と続いている。そこから掘った縦穴を下りると、水脈からの背丈ほどの横穴が伸びている。水を得るための工夫と、それを得るための追求心、労力を垣間見る。
カナート
4travel.jp/travelogue/11591588
少し遅めな昼食は、レストランで、モロッコサラダ、ミートボールタジン、プリン。
CHEZ MICHELE
www.tripadvisor.com/Restaurant_Review-g480211-d1766550-Reviews-Chez_Michele-Tinerhir_Souss_Massa.html
高台から、砂漠内のティネリールオアシス。アトラス山脈の南側に位置し、豊富な湧水が存在する。灌漑用の水路も作られ、農業が行われている。日干し煉瓦造りは毎年修理しないと崩れていく。
ようやく、キラキラ色のトドラ渓谷。モロッコのグランドキャニオンとも言われている。ロッククライマーの聖地。トドラ川沿いにそびえ立つ両サイドの岸壁は、砂漠の近くなのに湧き水で長い年月をかけて削られ作られた。寒い風が通り抜け、夏は水遊び。岩場が崩れて隣のレストランが壊れたと報告したレストランも営業できなくなり2軒とも閉鎖になったというエピソードがある。そのため、以前は最高のロケーションで食事を楽しんだのに、最近では少し離れたところで食事をせざるを得なくなった。
ワルザザート(169km、3時間30分)へ向けて再びバス移動。日没後にホテルに到着。寒い。夕食はホテルのバイキング。魚のフライがうまい。タジン鍋の煮物に飽きてきた。
ワルザザート泊 オスカーホテル
tabichat.jp/hotels/174724
8日目 12/12(木) 晴れ 7~18℃
ゆっくり起きて、朝食。部屋に備え付けられた女優の鏡。映画スタジオに隣接するユニークなホテル内を散策。ナツメヤシの根元に散水する仕組み。
英語で解説するスタジオのガイドと、それを通訳する我がツアー添乗員と一緒にアトラス・スタジオを見学。9時ぴったりに開門。チケットを改札機に通して入場。クレオパトラ、ベンハー、ハムナプトラ、インディ・ジョーンズ、グラディエーターⅠとII などなど、数々の映画が撮影された世界最大級の映画スタジオ。映画会社にしてみれば、映画が撮りやすい。広い、天気がいい、静か、安い、機材が持ち込みやすい。エジプトで撮影許可が下りなくて、このスタジオでセットを作り映画を作製したこともある。中国映画も可能。マラケシュからヘリコプターで20分の距離にあり、俳優にも便利。モロッコににも経済効果抜群。戦闘機も、ボンドカーも近くで見るとチャッチー、映像技術の魔法は素晴らしい。セットもそれぞれの映画に合わせて作り替える。エジプトの円柱も色々塗り替えいろいろな映画に使い回しするらしい。
ホテルから映画「アラビアのロレンス」のロケ地として使われたティフルトゥト(10km、約20分)へ。「スターウォーズ」や「グラディエーター」など有名映画も撮影。不毛の大地に突如として姿を現す要塞村。先ず、ティフルトゥトのカスバを一望できるフォトスポット。「カスバ」とは、モロッコの先住民であるベルベル人が、主に防衛を目的として作った城砦や邸宅。代表的な集落が砂漠のオアシスとも称されるワルザザート近郊に存在。そのカスバの代表的なのが、「アイトベンハッドゥ」。
【世界遺産】アイトべンハッドゥ観光(1時間) ≪歩く度:2≫
www.teestyle.jp/country/morocco/kasbah/spot/spotMA3170119.html
atoz-morocco.com/ait-ben-haddou/
一般的なコースは橋を渡り上っていくが、少人数なので川を飛び石で渡るコース。足下にラクダの糞、注意深く河原を歩く。下から見上げるコースが素晴らしい。グラディエーターの1シーンを思い起こす。新たな映画の巨大なセットを建設中。
高い城壁に囲まれた日干し煉瓦造りの集落で、現在でも数家族が居住している。階段上りは、かなり辛いが、砂漠の山登りに比べれば苦ではない。頂上まで登ると、真っ青な青空や遠くに見えるアトラス山脈と眼下に広がる伝統的な建築様式を守り続ける集落は、まさに絶景。サハラ砂漠で乗ったラクダとイメージが重なり、あぶり出しの絵を購入。30ディルハム(約5000円)。右上にアラビア文字でコジマと作家さんに書いてもらおうと思ったが、通じなくて現地ガイドのハッサンさんが書いていた。このガスボンベは町のあちこちで山積みに売っていた。帰国後、額装。
ベルベル人のお宅を訪問。電気・水道がなく、今は住んでいない。近くの街から通勤。香り豊かなミントティを頂く。風の流れを意識した暑さ対策。
昼食は、アイトべンハッドゥを見渡せるレストラン。「モロッコのモンシャンミッシェルや」の一言。さすが大阪のツアー客、妙に面白い、笑いを我慢できない。モロッコサラダ 、オムレツ、牛と鶏の串が美味しい。
食後に、マラケシュ(185km、約4時間30分)へ。途中、アルガンオイルの店に立ち寄る。原料はモロッコ南西部にしか生育しないアルガンツリーの種子、100kgの実からたったの1リットルしかとれない。ビタミンEが豊富。モロッコ女性の美しさの秘密、ここにあり。種の皮を剥ぎ、石臼で磨り潰し、オイルを絞り出す。実際にやってみる。30ml 130デイルハム 約2000円。
アトラス山脈の最高地点ティシュカ峠(標高2,260m)を越え、モロッコの中央に位置するマラケシュに近づくと、だんだん岩の色が赤に。
ホテル到着後、 ホテルの建物の地下にある、一度外に出て入り口は別にあるスーパーマーケットへ。ナッツ類やクッキーをお土産に。大きな魚が輪切りで売っている。
マラケシュ泊 ラディソンBLUカレエデン
www.expedia.co.jp/Marrakech-Hotels-Radisson-Blu-Hotel.h11533071.Hotel-Information
バスタブ付きの部屋に2連泊
夕食は、ホテル。モロッコサラダ、焼き魚(鯛?)、デザート。カサブランカビール250ml 80ディルハム (約1280円)。
9日目 12/13(金) 晴れ 7~19℃
普通に起きて、朝食。ホテルから少し早めの出発。エッサイウィラ(190km、約3時間30分)へ。真っ平らな荒野が延々と続く。太陽光発電を利用した灌漑設備の周りにオリーブ畑。所々にグリンピース、ソロ豆、ネギも栽培され、農作業をしている。アルガンの木(アフロヘアのような低木)が自生している。
アルガン
wood.jp/8-jumoku/wood/m511.htm
リゾート地、芸術家の街、モロッコの南西部の大西洋に面したエッサイウィラに到着。モロッコ人も一度は訪れたい憧れの場所として知られる沿岸城塞都市。フランス人によって建築された街。
【世界遺産】エッサウィラ観光(1時間30分) ≪歩く度:1≫
jimotrip.wixsite.com/home/post/morocco-essaouira
helloworldsabrina.com/essaouira/
sahara-breezetravel.com/district_info/essaouira.html
城門をくぐると、細い路地が入り組むメディナ(旧市街)。青と白を基調とした可愛い街並みを散策。色んなお土産屋さんが所狭しと並んでいる。画廊も多い。たこ焼き屋さんは閉まっていた。昼食べないで夜食べるのかな。猫天国。パブーシュ購入 2足で50ドル。物価が安い。値段交渉も実に楽しい。パブーシユの大きさをメジャーできちんと測り、ドル換算も電卓できちんと計算。この次来る時は、この街で泊まって芸術の街を満喫したい。ナザレにも立ち寄りたい。
ナザレ スペイン、ポルトガルの旅 2019年2月23日
kojima-dental-office.net/blog/20190227-11172
旧市街を囲むスカラ城塞へ。ポルトガルが軍港として作られた。大砲も残っていて、狭い階段も残る。
人々が集まる賑やかなムーレイハッサン広場に出てきた。青い海、磯の香りがする。対岸はアメリカ。風力発電も遠くに見える。
広場から狭い道を通り、昼食はレストラン。こんなに美味いスープは久しぶり。魚介のフライ(イカ、エビ、鰈)もフルーツタルトも美味しい。
エッサイウィラからマラケシュ(190km、約3時間30分)へ来た道を戻る。
マラケシュ、ジャマエルフナ広場に到着。メディナのヘソともいわれる世界一賑やかな広場。2009年には単独で『ジャマ・エル・フナ広場の文化空間』が世界無形遺産に登録された。大道芸人や蛇使い、猿など様々なイベント。それを生業としている人たちが写るかもしれない写真撮影は、許可を得てからが鉄則。かなり注意が必要。ジュース屋さんやエスニックな香りに満ちた大屋台街が並ぶ。カオス、人の活気に圧倒される。
周囲の細い路地にはスーク(商店街)が並ぶ。はじめは緊張してこわばっていたが、暫くすると買い物もできるようになり、三葉虫の化石(5ドル)を購入してみる。ただし、定価がないことや値切る交渉術に戸惑う。お土産に小さなラクダの木彫(2ドル)や動物の木製パズルも購入。少額の品物にカードは使えない。日本円も使えない。ディルハムまたはドル。それも、ドル紙幣は1枚1枚丁寧に点検する。少し古い製造年月日のドル紙幣は使えなかった。両替所が換金してくれないらしい。日本円で製造年月日など見たことはない。これからの旅には少額なドル(1,10,20ドル)を持って行こう。それも新しい製造年のものを。
ジャマエルフナ広場を見下ろすカフェの2階バルコニーは超満員。ティータイム。ミントティを注文する。相席した20代の日本人女性は、モロッコへ一人旅。それも2泊のホテル予約のみ。昨日、日本からマラケシュに着き、今後はどこへ行くか、どこに泊まるかをこれから決めるとのこと。昨日の夜はここから見えるあのレストランで食べた。美味しいからお勧めですよと話してくれた。フランス語が通じるので、モロッコに来たそうだ。昨日のアイトべンハッドゥでも日本人女性の一人旅がいた。男性の日本人一人旅は見かけない。陽が沈んでくると、エキゾティックな雰囲気に変わる。
ジャマエルフナ広場
media.eurasia.co.jp/africa/jemaa_el_fnaa
ミニバスへ乗車し、レストラン近くまで。そこから細い路地を曲がりくねって歩く。現地ガイドさんはマラケシュ近郊に住んでいて、この辺りはお手の門らしく、迷路とは呼ばないが、相当難解だと思う。フェズとは違い、バイクが前からも後からも駆け抜けていく。油断できない。フェズはバイクを寄せ付けないほどの迷路だった。
夕食は、中庭のあるレストラン。雰囲気抜群、サービスも最高。マンドリンの生演奏も。料理も文句なし。春巻き各種(チーズや鶏など)、牛肉タジン、ミルフィーユパイ、クッキー、ミントティ。ボーイさんが一人ひとりに切り分けてくれる。
歩いて戻り、ミニバスに乗り、ホテルへ。
マラケシュ泊 ラディソンBLUカレエデン
10日目 12/14(土) 晴れ 8~20℃
普通に起きて朝食。のんびり出発。
【世界遺産】マラケシュ観光(2時間30分) ≪歩く度:2≫
www.travel.co.jp/guide/matome/2739/
マラケシュは、モロッコでフェズに続いて2番目に古い街、かつての帝都。ベルベル語で”神の国”を意味する。「南方産の真珠」とも呼ばれるモロッコ第3の都市。街全体に赤茶色の城壁が続き、町並みも赤茶色。地震の生々しい爪痕が随所にみられる。
モロッコ地震 2023年9月8日(BBC NEWS)
www.bbc.com/japanese/66766283
先ず、イヴ・サンローランが愛したマジョレール庭園。100周年を迎える。1920年代にフランス人画家で植物収集家であった、ジャック・マジョレル氏が造園。世界中からサボテンや竹林など植物を取り寄せ、モロッコらしからぬ異国情緒溢れる空間を見事に作り出した。マジョレル氏の死後はイヴ・サンローラン氏とピエール・ベルジュ氏が庭園を買い取る。イヴ・サンローランのお墓やショップもある。マジョレル氏が調合した「マジョレルブルー」が建物やトイレ、庭園に使われ、植物や花の色と見事なコントラストを生み出す。「モネ」風の池もある。警備員がめちゃ多い。働く機会を増やしているらしい。
マジョレール庭園
www.teestyle.jp/country/morocco/marrakech/spot/spotRAK170122.html
クトゥビアの塔を眺めながら、モスクをぐるりと巡る。倒壊した所や修復した所、木組みやつっかい棒で倒壊を防いでいる所があるが、前を向いて生きていく力強さがある。
クトゥビアの塔
www.teestyle.jp/country/morocco/marrakech/spot/spotRAK170121.html
次に、代々のスルタンが眠るサーディン朝の墳墓群。12本の大理石の円柱で作られた「12円柱の間」、3つのミフラーブの間、ミフラーブのある礼拝堂。王の墓、妃の墓、王族の墓に分かれており、建物内はモザイクタイルが施されている。王が眠る第二の墓は特に圧巻で、イスラム芸術の集大成。壁のモザイクタイルなど全てが精巧に作られている。1917年に空撮されるまで存在が知られていなかった。偶像崇拝禁止なので、墓碑銘はない。お墓は男女別々の集団で、日本のように家族まとまっていなくて、個人個人バラバラに設置。火葬は法律で禁止されているので、今でもすべて土葬。頭をメッカに向けられている。
サーディン朝の墳墓群
privatedrivermorocco.com/ja/saadian-tombs/
ミフラーブ
モスクの壁面にある大きな窪み。形はおおよそアーチ形ではあるが、その上部分はドーム型であったり、あるいは三角に近い形であったり、多種多様。イスラーム教徒は、この窪みの方向に向かって礼拝を行う。礼拝方向の先にあるのは、イスラームの聖域、カーバ神殿。
そして、 国王も宿泊したバヒア宮殿。国王以外は宮殿を建てることを禁止されていたが、国王が政治を任せきりだったので、アラウィー朝の宰相が邸宅として、19世紀中頃に実家の近くにこっそり建て始めた。14年の歳月をかけて造られただけあり、モロッコのアルハンブラ宮殿ともいわれる。華麗な装飾が柱や壁に施されており、また天井には見事な細密画が描かれている。特ににアトラスシーダの彫刻はアトラス山地原産のスギで、天井を埋め尽くすように繊細な彫刻が彫り込まれ、まるで美術品のような素晴らしさ。4人の妃のための部屋は、それぞれに装飾が異なる。バレリーナやアルトサックスなど金属工芸も素晴らしい。順路に沿って回ったが、中庭辺りで迷い3回同じ所に出てきた。
バヒア宮殿
tabi-travell.com/morocco-marrakesh-bahia-palace/
城壁に囲まれた世界遺産のメディナ(旧市街)の入り組んだ路地を歩く。小さな花や香辛料が並んでいる。ジャマエルフナ広場に出てきた。カフェで明るく、活気に溢れた人々や街を眺めながら、休憩。カフェオレ2杯、50ディルハム。
昼食は、イタリアンレストラン マンマミーヤ。シーフードサラダ、パスタ、チキンとマッシュルーム、ティラミス。
カサブランカ(245km、約4時間)へ急ぐ。カサブランカの中心地に位置している広場、モハメッド5世広場に立ち寄る。大きな噴水があり、地元の人たちの憩いの場でもある。カサブランカの市庁舎や裁判所・税務署など、市民にとって欠かせない施設の重要施設が集まる。レストランやショップが集まっている繁華街でもある。
モハメッド5世広場
www.travelbook.co.jp/spot/36133
ホテルに入り、今宵のディナーのために着替える。ドレスコード:スマートカジュアルな服装。
カサブランカ泊 ハイアット リージェンシー
www.hyatt.com/hyatt-regency/ja-JP/casab-hyatt-regency-casablanca
リックス・カフェ
privatedrivermorocco.com/ja/ricks-cafe/
www.facebook.com/rickscafecasablancaJ/
夕食は待ちに待った レストラン「リックス・カフェ」。元アメリカ外交官キャシー クリガーによって 2004 年に設立されたリックズ カフェは、アメリカ映画「カサブランカ」を再現するために設計されたエレガントなレストランとピアノ バー。
店の外で待機。予約がなかなか取れない。時間に厳しく、6時ぴったりに店内へ。遅れると入れてくれないらしい。映画の世界観を堪能。バーのカウンターでウイスキーをショットで飲みたかった。2階には、イングリッド・バーグマンがいた。料理も美味しかった。山羊のチーズとイチジク、ルッコラ、メインは、ローストサーモン、デザートはアップルタルト。ピアノの弾き語りも良かった。リクエストしたら、聴いてもらえてご機嫌のミュージシャン。チップ2ドル。楽しい楽しいモロッコ最後の夜だった。酔いしれてホテルに帰る。
アメリカ映画「カサブランカ」
community.discas.net/announcements/gweu8g8hjutahgqa
1942年にアメリカで公開(日本では1946年)された。アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚色賞の3部門を受賞。ハンフリー・ボガート演じる主人公が、イングリッド・バーグマンにささやいた名台詞「君の瞳に乾杯」が有名。第二次世界大戦中、酒場を営むアメリカ人の前に現われた、ナチに追われたユダヤ教徒の、かつての恋人を亡命させる。スペインとフランスの統治時代のモロッコ国王が、国内にはモロッコ人しかいないと明言した時代背景も重なる。映画「杉原千畝」と相通じるものがある。
kojima-dental-office.net/blog/20160105-572
11日目 12/15(日) 曇り 10~22℃
いつものように目が覚め、朝食。今日は最後のモロッコ。
カサブランカ観光(1時間) ≪歩く度:1≫
newt.net/mar/mag-8922409585
モロッコの最大都市。モロッコ空の玄関口。アフリカ大陸の中でも治安がいい。スペイン語でカサ(家)、ブランカ(白い)=「白い家」を意味する。アラブの世界とヨーロッパの雰囲気が融合したエキゾチックな旧市街地。
ハッサン2世モスクへ。世界で3番目に大きいモスク。信仰がなくても入れると言われていたが、入れなくなっていた。高さ210メートルのミナレットの外観は、伝統と現代が融合した、20世紀最高の芸術作品の一つ。大西洋を埋め立てて作られているため、塩対策と地下地盤対策に莫大な費用を要した。
カサブランカ空港(35km、約50分)へ。途中、海に面したカフェに立ち寄る。空港に着くと、すべての荷物検査。トランクを預け、搭乗券を受け取り、出国手続き、手荷物検査、出国審査(パスポート・搭乗券)、ビジネスクラスラウンジへ。
カサブランカを40分遅れで離陸。ドバイ(所要時間約7時間25分)へ。偏西風に乗り、来たときよりも1時間20分短い。映画を見て、スープを頂き、就寝。
12日目 12/16(月)
15分遅れでドバイ着。かなり巻き返したが、乗り継ぎが1時間ほどしかなく、慌ただしく乗り継ぎ。途中、エレベーターが上がったり下がったりのトラブル。結局ぐるっと歩いて回り、エスカレーターに乗って発着ロビーへ。分かりにくかった。
ドバイ発、帰国の途へ。来るときよりも3時間ほど短い予定。朝食は果物のみ。昼食はオムレツと果物。映画と仮眠。成田に20分遅れで到着。入国審査、トランクを受け取り、税関を通る。Wi-Fiレンタルを返却し、荷物を宅急便で送る。
走ってギリギリ予定していたエクスプレスに乗れた。無事帰宅。
【ここからはモロッコが大好きな現地ガイド ハッサン氏からの情報】
高校留学、大学時代を日本で暮らし、バイトはファミマ、トヨタに数年勤務
その後にトルコに帰る
敬けんなイスラム教徒で、旅行中に何度も神に祈る姿を見かける
1.歴史
①紀元前5000年頃ベルベル人
②紀元前2~3世紀 ローマ帝国の属州
③7世紀 イスラム化
④8世紀 フェズ イドリス朝
⑤11世紀 スペインへ進軍
後に撤退したが、モロッコまで攻められることはなかった
⑥16世紀 モロッコ人の誇り
アルジェリア国境で食い止めオスマン帝国に支配されなかった
⑦1912年-1956年 42年間スペインとフランスに統治される
⑧1956年 フランス保護領からモロッコ王国として独立
⑨1999年7月にモハメッド6世が即位(父ハッサン2世の崩御を受け)
⑩2011年、憲法改正 政府に自由にものが言えるようになった
国王は権限を移譲し、政府は経済
2. 政治的な安定
www.jccme.or.jp/report-46/pdf/16.pdf
立憲君主制
①国王の強いリーダーシップ
・モハメッド6世は、アラウィ朝の23代目の王であり、
イスラム預言者ムハンマドの直系子孫
・対話重視の考え方
・近代化と国民生活の向上を目指し、様々な政治・経済・社会改革を実施
・国政に関与しない、外交と安全に特化
・カタール創設時、国の基盤をモロッコ国王がアドバイス
なので通過もディルハム
・宗教的寛容
第二次世界大戦中、ナチに追われたユダヤ教徒を
モロッコ国内にはモロッコ人しかいないと国王が突っぱね、亡命させた
イスラエルが誕生したときに多くは移住したが、現在も1500人いる
②効果的な議会制度
・透明性あるプロセスで普通選挙を実施(前回の総選挙は2021年)
3.治安水準が高い
・2011年以降テロ事件は発生していない
・モロッコはアラブの春が起きなかった
①モロッコは中間層が多い(上下2つの層しかない国は治安が悪い)
人口3600万人、富裕層、中間層、政府が援助する貧困層(350万人)
②モロッコはスンニ派のみ、シーア派はいないので対立・抗争が起きてない
*スンニ派とシーア派【追記】
・イスラム教徒の人口の約90パーセントはスンニ派
・スンニ派のリーダーはサウジアラビア、シーア派の中心地はイラン
・スンニ派の場合、イスラム法の根拠になるのは、コーランとハディース
その内容から派生する「類推」と「合意」も
・シーア派はイスラム法の根拠として「類推」や「合意」を認めていない
重要なのは、「絶対に間違いを犯さないリーダー」
最高指導者はイスラム法学者
【5行】スンニ派
・信仰告白(シャハーダ) アッラーの神を信じる
・礼拝(サラート) 一日五回、神に祈る
・喜捨(ザカート) 収入の一部を困窮者に施す
・断食(サウム) ラマダーン月の日中、飲食を慎む
・巡礼(ハッジ) メッカのカアバ神殿に巡礼する
【シーア派では十行】
(①礼拝、②喜捨、③断食、④巡礼、⑤五分の一税、⑥ジハード、⑦善行、
⑧悪行の阻止、⑨預言者とその家族への愛、⑩預言者とその家族の敵との絶縁)
【一神教】
・古いほうから順に
ユダヤ教(数千万人)、キリスト教(25億人)、イスラム教(15億人)
*出生率が高いから、イスラム教徒が増えてキリスト教徒を超える
www.nikkei.com/article/DGXLASGM04H0I_W5A400C1EAF000/
・三つとも、同じ神クルアーンを信じている
ユダヤ教のヤハウェ、キリスト教の父なる神(God)、イスラム教のアッラー
・考え方の骨格もほぼ同じ
【宗教の骨格】
・神が天地を「創造」した。
・創造した世界は、やがて「終末」が来て壊れてしまう
・そのときに、死んだ人間はもう一度肉体を与えられて「復活」する
・そして、神による「最後の審判」を受ける
救われなければ、永遠の炎で焼かれる
・救われた人間は、神の王国(キリスト教)や緑園(イスラム教)に行く
【違い】
・神の子で、神本人のようなイエス・キリストがいるかどうか、
ユダヤ教やイスラム教に、キリストは存在しない。
・ユダヤ教では、モーセの律法(ユダヤ法)に従う
・イスラム教は、神アッラーに従い、
ムハンマドの預言のクルアーンにもとづくイスラム法に従う
・キリスト教は、イエスがモーセの律法(ユダヤ法)に従わなくてもよいと命じたため、何を食べてもいいし、何を着てもいいし、どう行動してもいい。ただし、イエス・キリストの教えを記した新約聖書に従う。
4.国家予算
①歳入
・国は鉱物などの資源の売却益
・勤労者の所得税ほとんどなし
・外国企業は5年間無税 日本から72社、世界の大企業も
・農業は無税
・土地は100年国から借りる。
モロッコ人しか借りれない法律になっているので、
外国企業も必ずモロッコ人が間に入る。
日本では中国人でも買える法律の不備だねとガイドに指摘された
②歳出
・人に投資 教育 小学校から専門学校、大学まで無料
小学校からアラビア語とフランス語を学ぶ
・医療無料
・ライフライン、道路、水道、電気などの公共事業ははモロッコ人が作る
モロッコ企業が行う アドバイスは受けるが、外国企業には受注しない
・都会の1ルームマンション
自己資金160万円(3年一生懸命働けば貯まる)+国が160万補助
国民性として借金をしない
1戸建ての家でも建てられるところまで建てて、
2,3階はお金ができてから建てる
・荒れ地から土作りして畑にすると、国から8割の補助がもらえる
モロッコ経済情勢報告 在モロッコ日本大使館経済班 平 成 24 年 12 月
www.ma.emb-japan.go.jp/pdf/keizainisshi/Morocco-Keizai-Josei-Report-2012.pdf
5.エネルギー
www.jetro.go.jp/biz/areareports/special/2022/1003/e9faa28b31157d30.html
①石油や天然ガスをほとんど産出しない→輸入
②2021年時点で、風力などの再生可能エネルギーは、あわせて8.5%。
化石燃料への依存度が高い(石油51.7%、石炭36.3%、天然ガス3.2%)
③目標は、2025年に52%(太陽光20%、風力12%、水力20%)
2030年に64%、2050年には80%に引き上げる
④ナイジェリアとの間に天然ガスパイプライン4000キロをつなぐプロジェクト
通過国に天然ガスを供給する
ヨーロッパにも繋がげてロシア対策
5.課題
①ゴミ問題・意識
・黄色のジャケットを身につけた清掃員
教育関係者のツアー客の話
県や地方自治体が、天下りではなく、地元の大学から地元思いのある人材を採用する仕組みを作ると地元が発展する
【日程表】
クリスタルハート 砂漠の旅人 モロッコ大周遊12日間
www.hankyu-travel.com/tour/detail_i.php?p_hei=10&p_course_id=LE302AY
添乗員 勝又さん、現地ガイド ハッサン氏
0日目 事前準備
1.スマホの海外対策
今回は、ドコモ海外利用「世界そのままギガ」ではなく「グローバルWi-Fiレンタル」を使う 27,922円
①Playストアからアプリの自動更新をOFFにする
②データローミングをOFfにする
③飛行機に搭乗する直前にモバイルデータ通信をOFFにする
設定すると国内でネットが使えなくなる
④飛行機に搭乗したら帰国するまで、機内モードON
現地で国際電話を使うときはOFFにする
⑤現地到着後、パスワード入力しWi-Fi接続
2.ロストバケージ多発のため、パジャマや1日分の着替えを機内持ち込み
持ち込み用のバックをトランクとは別に用意する
観光マークの説明
◎入場観光
○下車観光(施設等へは入場しません)
△車窓観光
▲乗車または乗船観光
☆ショッピング
★食事・ショッピング
1日目 12/5(木) 霰
内灘 12:00発
金沢 13:50発 かがやき532号(2時間30分) 16:20着 東京 乗換15分待ち28分東京 17:03発 成田エクスプレス43号(55分) 17:58着 成田空港
集合時間 19:50
成田国際空港第2ターミナル3F出発ロビー
北団体カウンター 阪急交通社受付カウンター
エミレーツ航空カウンターにてトランクを預け、搭乗券を受け取る
出国手続き 手荷物検査→税関→出国審査(パスポート・搭乗券)
ビジネスクラスラウンジ 午後6時から午後10時まで
搭乗口へ 7人のツアー
22:50/東京(成田空港)発 30分遅れ
エミレーツ航空0319便ビジネスクラスにてドバイへ(所要時間約12時間10分)
【夕食】 機内食
機中泊
2日目 12/6(金) 晴れ
06:00/ドバイ着後、乗り継ぎ(時差-5時間)30分遅れ
Aエリア→Cエリアバス移動後手荷物検査
08:05/ドバイ発 30分遅れ
空路エミレーツ航空ビジネスクラスにてカサブランカへ(所要時間約8時間45分)
【朝食】 機内食 フルーツとコーヒー 【昼食】 機内食 スープとラム肉
13:50/カサブランカ着(時差-8時間)40分遅れ
トランクを受け取り、出国審査
空港内でモロッコ通貨(ディルハム)へ両替3万円(1875ディルハム)
1モロッコディルハムは約16円
コインは1,2,5,10 紙幣は20,50,100,200
チップの目安
トイレ利用は2ディルハム約30円、枕銭は20ディルハム約300円
ホテルで何か頼んだ場合はお札の20ディルハム
14:30 カサブランカからモロッコの首都ラバトへ(87km、約1時間30分)
16:00 ラバト着
16:00~17:00【世界遺産】ラバト観光(1時間)≪歩く度:1≫
【ムーア式の代表的建造物〇ハッサン塔】
17:00/ホテル着
ラバト泊 ファラーホテルラパト
18:00 【夕食】 ホテル バイキング タジン鍋
20:30 就寝 時差の関係か(日本時間では早朝3時半)
3日目 12/7(土) 曇り時々晴れ 7~20℃
4:30 起床
6:00【朝食】 ホテル
6:15 モーニングール
7:45 荷物回収
08:15/ホテル発
08:50~09:10 モハメッド5世廟へもう一度
09:10 モロッコ北部、青い町シャウエンへ(250km、約4時間)
1105~11:25 トイレ休憩
13:40 シャウエン着
14:00 【昼食】 レストラン アルコールなし
15:00~16:15 白と青色の世界シャウエン観光(2時間)≪歩く度:2≫
・幻想的な雰囲気が漂う〇旧市街散策
・〇グランドモスク
【注意】
・標高が高い(1300から1400m)地域で日没後は5℃位まで冷え込む
上着やマフラー、手袋といった防寒対策が必須
使い捨てカイロは持参
・乗り物酔いしやすい人は、酔い止めをお忘れなく
【マナー】
・モロッコはイスラム教国でありながら、戒律が比較的ソフトな国
・イスラム教で左手は“不浄”とされているので、
くれぐれも左手で人に触らない
・他人の写真撮影は、許可を得てからが鉄則
・公の場での飲酒を控える
16:30~16:40 シャウエンを望む高台のフォトスポット
17:10/ホテル着
シャウエン泊 リアド ダルバ シティ&スパ シャワーのみ
19:30 【夕食】 ホテル バイキング アルコールなし
4日目 12/8(日) 晴れ時々曇り 7~20℃
5:30 起床
6:00 モーニングール
7:15 荷物回収
7:15 【朝食】 ホテル
08:15/ホテル発
ボルビリスへ(165km、約3時間30分)
11:30 ボルビリス着
11:30~12:30 【世界遺産】○ボルビリス古代遺跡観光(1時間)≪歩く度:1≫
12:50 ボルビリス発、メクネスへ(32km、約1時間)
13:20 メクネス着
13:20~14:20【昼食】 レストラン モロッコサラダ、イカタジン、クレープ
14:20~15:30【世界遺産】古都メクネス観光(1時間30分)≪歩く度:1≫
【〇マンスール門】 修復中
【〇ムーレイ・イスマイル廟】
【〇グランドモスク】
15:30 メクネス発、フェズへ(65km、約1時間30分)
17:00/ホテル着
フェズ泊 ルメリニデス
19:30 【夕食】 ホテル バイキング
5日目 12/9(月) 晴れ 5~19℃
6:30 起床
7:00 モーニングール
7:30 【朝食】 ホテル バイキング
09:30/ホテル発
【世界遺産】フェズ観光(5時間30分) ≪歩く度:3≫
迷路に詳しいフェズだけのガイドが加わる
【◎タンネリ】
☆革製品のお店(30分)
☆フェズ焼工房(陶器)タイルと陶器製作過程見学(30分)
☆銀・銅製品のお店(30分) 篆刻てんこくの技術
13:00~14:00 【昼食】 レストラン
【〇カラウィンモスク】
【スルタンの居城であった〇王宮】
【〇ムーレイ・イドリス廟】
【◎ブーイナニア神学校】
【◎モロッコ人のお宅訪問(ミントティー付き、30分)】 ハメットさん
観光後、ホテルへ
16:30/ホテル着
フェズ泊 ルメリニデス
19:00 【夕食】 ホテル セットメニュー
6日目 12/10(火) 晴れ 5~18℃
5:30 起床
6:15 モーニングール
6:30 【朝食】 ホテル バイキング
7:30 荷物回収
08:00/ホテル発
10:00 美しい高原(標高1,600mほど)の街イフランにて休憩
(〇アトラスライオン像)
≪歩く度:1≫
12:00 ミデルト着
12:00~13:00 【昼食】 ミデルト ホテル TADDARTのレストラン
13:30 昼食後ミデルト発、サハラ砂漠の街メルズーガへ(260km、5時間)
岩漠→土漠→砂漠
ズイズ渓谷 グランドキャニオン
ハッサン1世ダム ダム湖
ズイズオアシス
18:00 夕陽を撮影
18:30/ホテル着
メルズーガ泊 カスバホテルトンブタトゥ
19:00 【夕食】 ホテル バイキング
7日目 12/11(水) 晴れ 3~17℃
5:00 起床
6:00 モーニングール
6:50/ホテル発
ラクダに乗る
【〇サハラ砂漠の朝日鑑賞】≪歩く度:1≫
8:45 ホテルへ戻る
9:00 【朝食】 ホテル バイキング
9:15 荷物回収
10:00/ホテル発 トドラ渓谷へ(200km、4時間30分)
途中、大理石工房、
【◎砂漠の地下用水路カナート観光(15分)】
14:30~15:00 【昼食】 レストラン
〇ティネリールオアシス
15:20~15:40【〇トドラ渓谷観光(1時間)】
15:40トドラ渓谷発、ワルザザートへ(169km、3時間30分)
途中、☆バラ製品のお店(30分)に立ち寄る
19:30/ホテル着
ワルザザート泊 オスカーホテルバイアトラススタジオ
19:45 【夕食】 ホテル バイキング
8日目 12/12(木) 晴れ 7~18℃
7:00 起床
7:00 モーニングール
7:30 【朝食】 ホテル
8:30 荷物回収
9:00~9:40アトラス・スタジオ見学
9:45/ホテル発 ティフルトゥトへ(10km、約20分)
10:10 【〇ティフルトゥトのカスバを一望できるフォトスポット】
10:35~11:35 【世界遺産】アイトべンハッドゥ観光(1時間) ≪歩く度:2≫
11:50~12:20 【◎ベルベル人のお宅を訪問】
12:30~13:30【昼食】 レストラン
13:30 マラケシュへ(185km、約4時間30分)
14:20~15:00 途中、☆アルガンオイルの店(30分)
15:15 アトラス山脈の最高地点ティシュカ峠(標高2,260m)
17:50/ホテル着
マラケシュ泊 ラディソンBLUカレエデン
バスタブ付きの部屋に2連泊
18:30 ☆スーパーマーケットへ
19:00 【夕食】 ホテル
9日目 12/13(金) 晴れ 7~19℃
5:30 起床
6:00 モーニングール
6:30 【朝食】 ホテル
8:10/ホテル発 エッサイウィラへ(190km、約3時間30分)
11:30 エッサイウィラ着
11:30~14:00 【世界遺産】エッサウィラ観光(1時間30分) ≪歩く度:1≫
【細い路地が入り組む〇メディナ(旧市街)散策】
【旧市街を囲む〇スカラ城塞】
【人々が集まる賑やかな〇ムーレイハッサン広場】
12:30~13:30 【昼食】 レストラン
14:00 観光後、マラケシュへ(190km、約3時間30分)
17:20 マラケシュ着
17:30~18:45
〇ジャマエルフナ広場周辺の散策
18:15~18:45 ジャマエルフナ広場を見下ろすカフェにてティータイム
19:00 ミニバスへ乗車し、ご夕食レストランへ
19:30~21:00 【夕食】 レストラン
夕食後、ミニバスへ乗車し、ホテルへ
21:30/ホテル到着
マラケシュ泊 ラディソンBLUカレエデン
10日目 12/14(土) 晴れ 8~20℃
5:30 起床
6:30【朝食】 ホテル
6:40 モーニングール
8:00 荷物回収
08:40/ホテル発
【世界遺産】マラケシュ観光(2時間30分) ≪歩く度:2≫
9:00~9:35 【◎マジョレール庭園】 100周年
【国王も宿泊する◎バヒア宮殿】
【◎サーディン朝の墳墓群】
【〇メディナ(旧市街)】
【〇スーク】
12:00~13:00 【昼食】 イタリアンレストラン マンマミーヤ
13:30 カサブランカへ(245km、約4時間)
17:00 カサブランカ着
【〇モハメッド5世広場】
17:30/ホテル着
カサブランカ泊 ハイアット リージェンシー
18:00 【夕食】 レストラン「リックス・カフェ」
11日目 12/15(日) 曇り 10~22℃
6:00 起床
7:00 【朝食】 ホテル
9:00 荷物回収
09:45/ホテル発
10;00~11:00 映画の舞台として有名なカサブランカ観光(1時間) ≪歩く度:1≫
【〇ハッサン2世モスク】
11:00 カサブランカ空港へ(35km、約50分)
12:00 カサブランカ空港着
すべての荷物検査
トランクを預け、搭乗券を受け取る
出国手続き、手荷物検査、出国審査(パスポート・搭乗券)
ビジネスクラスラウンジへ
15:45/カサブランカ発、空路エミレーツ航空ビジネスクラスにてドバイへ
40分遅延 (所要時間約7時間25分)
【昼食】 × 【夕食】 機内食
機中泊
12日目 12/16(月)
01:45/ドバイ着後、15分遅れで慌ただしく乗り継ぎ
02:55/ドバイ発、空路、エミレーツ航空ビジネスクラスにて帰国の途へ
(所要時間約9時間25分)
【朝食】 機内食 【昼食】 機内食
17:40/東京(成田空港)着、解散
入国審査、トランクを受け取り、税関を通る
Wi-Fiレンタルを返却
荷物を宅急便で送る
20分遅れで走ってギリギリ電車に乗れた
成田空港18:15発 成田エクスプレス44号(1時間5分)19:20着 東京 乗換15分待ち21分
東京 19:56発 かがやき517号 (2時間27分)22:23着 金沢
乗り遅れたらの予定
成田空港18:40発 スカイライナー62号(47分)19:27着 京成上野 乗換20分待ち15分
上野20:02発 かがやき517号 22:23着 金沢
- カテゴリー
- 世界の旅