なんで家族を続けるの?
2022年05月03日(火)
内田也哉子 中野信子 著
文春文庫
2021年3月20日発行
850円
内田也哉子と中野信子の5回にわたる対談。
「也哉子」名付け方
母、樹木希林が、父を大変敬っていて、内田裕也の「也」という字が最初にくることにこだわって名付けた。
中野は、「也哉子」の名付け方のセンスが素敵だなと思い、哲学的なことを感じた。「也」は「~だ」と断定する止めの意。そして「哉」は「始める」の意。止めを表す「也」を最初にして、始まりを表す「哉」を続ける。これは輪廻、終わりが始まりみたいなことを意味している。
内田裕也は逮捕された時、留置場で付けられた番号が69(ロック)だったことに喜ぶ始末。度重なる逮捕にも樹木希林はさらりと「今後どうするかはその都度考えながら引き受けていくしかない」と言った。
中野信子は、夫と出会い、それまで無理をしてできてしまったブラックホールから引き上げてもらう。恋愛と違って、学ぶことができるのが結婚の良さ。頑張りすぎたらちょっとその場を楽しむという、緩急をつけることを夫から学んだ。目標に向かって高みを目指すことに価値があると信じ込んでいた。「ここが花畑なら、どうしてそこで遊んではいけないの」と言われてしまい、確かにその通りだと思った。今、休んでいいんだ、花畑を楽しむ要素を生活に取り入れようと思った。でも、やっぱり目標に向かって何かをやることの楽しみも知っているから、それを完全にやめることはできない。面白い人なら、夫が3人くらい彼女を作ってもいいと思っている。
A.家族のカタチ
1.家族
①脳科学から見た家族
家族は、「婚姻関係にある夫婦を中心とした血縁を持つ人々の集まり」と定義される。
「一夫一婦制の性的パートナーがいて、子供がいる」のが基本形だと現在の私たちは刷り込まれているが、家族の形が一意に決まっていないというのが人間という種の強みでもあった。環境に適応するために多様な子育てのシステムを取り得るということ、その柔軟性が人間にとつての生存戦略的な武器であった。
②家族の多様性
人類が本質的に持っていたはずの戦略の多様性がすっかり忘れ去られてしまっている。現在、スタンダードだとされているような形が、唯一無二の正しい家族の形であると思いこまされている。刷り込みによって、自分の家族はその形から外れているのではないか、これでは自分の家は機能不全なのではないか、などと思い悩ませたりもしてしまう。内外の圧力を感じてしまうあまりに、本来大切にすべきものであるはずの、家族一人ひとりの気持ちを犠牲にしてしまうということも起きてしまっている。その軋みに耐えられず、声を上げたいと思っている人が、潜在的にはたくさんいる。
③価値観の多様性
両親が結婚していないと子供がかわいそうだという人たちは、これまでに自分が刷り込まれてきたものだけが正しいと信じ込んでいる。人の数だけ正義はある。基本的には、健全に子供を育んでいく社会が実現されるためには、それを各人が尊重していくべきである。家族の形についての社会通念は、今後急速に変化していく可能性が高い。家族のあり方は多様であるべきだ、などと言っている時点で、実際古臭いのかもしれない。すでに、日本でも離婚率は3割を超えている。社会は家族のあり方は多様だという現実を認めるべき。
④経営側の論理
婚姻関係によって妻子を持たせるというシステムは、労働力の確保という点では極めて理にかなった構造である。扶養家族を持っていることで、男が簡単に離職することができなくなる。女が働くことはあまり良しとされないという通念も主として経営側の論理として生まれた。
2.結婚と不倫
①「不倫遺伝子」
AVPR(アルギニン・バンプレッシン・レセプター)というホルモンの受容体に、俗に「不倫遺伝子」がある。DNAレベルでいうとたった一文字違うだけで振る舞いが変わる。たった一人の人を大事にするか、みんなを浅く広く大事にするかという違い。
男性が持っている場合は「離婚遺伝子」といわれ、女性が持っている場合は「不倫遺伝子」といわれる。男性の場合は浮気が露呈するとすぐに分かれることになるけど、女性の場合はうまくやっていろいろと得をする。
「貞淑」になる遺伝子と「不倫」を好む遺伝子があり、人数の割合は概ね5対5と推測されている。もともと一夫一婦制の結婚には向いていないタイプが人口の半数ほどいる。
②アホウドリのカップルの三分の一はレズビアン
子孫を残す時だけオスと浮気する。そして、それぞれ元に戻り、子育てはメス二羽でする。アホウドリの生態は、子育てと生殖行動を別に考えるヒントになる。
③貞操観念はたかだか150年の倫理観
日本の性的パートナーのあり方というのは、家族の枠を超えて非常に多様性に溢れたものであった。明治維新後に欧米に追いつこうという気運が高まった時に、貞操観念も欧米に合わせようとした。その時に現在の倫理観が形作られたのであれば、たかだか150年の倫理観。
本来、人間の性のあり方はもっと多様だった。性行動にはいろんなパターンがあるから、一律に制度にはめるには無理がある。一夫一婦制にはまる人は楽だけど、はまらない人は大変。
④不倫たたきは生物のアリー効果
「大きい集団」が最も生き残りやすい。これは、アリー効果、生物の原則。生き延びるためには集団になることが一番の武器だから、自分の意思を優先するよりみんなと同じように考えるように仕組まれている。同調圧力が人間が生きるために大切。
3.出産
①日本の母親は誰しも「毒親」予備軍
恋愛する時は理性が働かなくなる。「この人の子供が欲しい」と思うのは、理性とは違うメカニズムが働く。理性偏重では子供を作らない個体が多数になってしまう。子孫繁栄を考えるのなら、なぜ理性のほうが大事だと多くの人は考えているのだろうか。
愛は、環境が整わないうちは人類にとって子育てに有益なものだったけど、人類は環境をかなり整えて、テクノロジーも発達させた。現代はもう、愛が毒になる時代が到来しつつある。
②婚姻という枠組み
今の一夫一婦型の家族で、経済的に潤沢なりソースがあるとはいえず、祖父母の支援も得られにくいという環境では、明らかに圧倒的に母親に負担がかかりすぎ、子を産み育てる条件としては理想的とはいいにくい。人口を増やすのにはあまり効率的ではない。
フランスの仕組みのほうが日本の仕組みよりは出生率が高い。法的な婚姻という枠組みをかなり緩めた形で、実際、60%近くの子どもたちが婚外子。婚姻関係にこだわらない方が子供が増える。
③知性は母から、情動は父から受け継ぐ
知性を司る大脳新皮質は主に母側と考えられている。内臓などの、他の体の部分はお父さん。情動脳の部分はオス側の遺伝子が発現している。
④有性生殖という無駄が「種の存続」には重要
人間は選択肢がある時、必ず一定の割合で一見無駄な方を選ぶ。無駄なものを選ぶ個体が「多様性の保持」に効いている可能性がある。種の存続には極めて重要なファクター。
4.子育て
①脳が子育てに適した状態になるのは40代
体が生殖に向いているのは20代かもしれないが、脳が子育てに適した状態になるのは40代ぐらい。
不完全な人間が人間を育てるシステムの脆弱性を考えると、プロの「育てるスペシャリスト」が、養育者という役割を担った方がよい。つまり、子供を育てるのは親ではないという社会を思考実験的に考えてみたい。欧米ではそういうシステムがある。
家族における父親と母親の、脳科学的な本来の役割はない。社会が大きく変わっても柔軟に適応して、どんな環境になっても子は育つ。いろいろな価値観の中で揉まれることは、知能を伸ばすにはいいとされている。特定の養育者がいることが大事。でも、愛着の観点から見ると、人間関係を回避しがちになったり、逆に、この人はと思ったらしがみついてしまったりするようにもなるジレンマがある。
②幼くして家庭の外に飛ばされた私たち
内田自身も9歳でアメリカの学校に飛ばされた。ボーディングスクールは養育に長けたハウスマスターがつくからプロが育てるという理に適っていた。
私たち夫婦が過干渉だったから、すごく萎縮する子になっていた。それを母、樹木希林が見ていて、「とにかく一刻も早く海外に出しなさい」と言われたのがきっかけで、長男と長女は12歳で欧州のボーディングスクール(全寮制の寄宿学校)に入れた。
中野も12歳で親元を離れて父方の祖母の家に預けられ、行ったり来たりして育つた。家のカルチャーが違うということに、子供として面食らった。
③育てのお母さんと産みのお母さん
「血縁」と「生まれた時からずっと共有してきた時間」の価値の比較は人間の脳内ではどう整理されているのか。
ラットは透明な床を怖がる。透明な床の先にある餌を取りに行かない。でもなかにはあまり怖がらず、取りに行くラットもいる。ラットは子供を舐めて、グルーミングをして育てる。よくグルーミングされて育ったラットのほうが透明な床の先にある餌をよく取りに行く。
育てのお母さんと産みのお母さんのどっちの影響が影響が大きいかを調べるために、巣を取り替える実験をした。よく舐めるお母さんから生まれた子供を、よく舐めないお母さんの巣に移す。逆に舐めないお母さんから生まれた子供をよく舐めるお母さんの巣に移す。そうすると、育てのお母さんのほうが影響が大きい。よく舐められた方がストレス耐性が高い。脳の海馬と扁桃体が変化する。遺伝子だけで全て決まるわけではない。
④行動制御も共感も、脳は30歳まで未完成
キレそうな自分を抑えるのに必要なのは「メタ認知」。自分の思考や情動を俯瞰の目で眺めること。メタ認知ができれば行動を制御できる。カーッとなると思い出す何かを、感情に紐づけておくことをお勧めする。
脳にあるDLPFC(背外側前頭前野)がメタ認知もするし、状況を読んで損得計算もする。カーッとなって爽快感を得るのと、それを抑えるのとでは、長期的に見てどちらが得なのかという計算する。ただし、DLPFCは30歳ぐらいまで成長が続き、それまでは未完で、ゆっくり考える、自分を見つめる、我慢をするということができない。
子供に向かって怒ってしまいがちだが、子供にしてみればDLPFCが未完成だから、何を言われているのか分からず、怒られたという記憶だけが残る。子供が30歳になるまでは、未完成であることを許す気持ちが試される試練の時。
また、脳のOFC(眼窩前頭皮質)は「共感の領域」と言われ、相手の感情に寄り添うところ。こんなことしたら嫌だろうなと察することは、子供にとってはかなり困難。これが未完成なうちは、大人が見本を見せる必要がある。
5.集団と孤独
孤独であることによるストレスをAとし、集団に合わせるストレスをBとすると、誰もが両方のストレスを抱えているが、孤独を嫌うヒトはAが大きく、集団でいることを避ける人はBが大きいことになる。AとBのどちらを強く感じるかは、生後6ヶ月~1歳半までの間に決まる。脳の機能が影響している可能性がある。幸せホルモンとしてお馴染みのオキシトシンという物質は、脳で作用すると自分の近くにいる個体に愛着を感じるようになる。そのオキシトシンの受容体の脳内の密度が、この時期に決まる。生後6ヶ月~1歳半のオキシトシンの受容体の数で決まったタイプは生涯、90%は変わらない言われているが10%は変えられる可能性がある。
精神科医・心理学者のボウルビィが満1歳児で実験したところ、4つのタイプに分かれる。
①回避型 孤独を好む、Bを強く感じるタイプ
脳科学的にはオキシトシンの受容体の密度が低く、他者への関心が薄い。
②安定型 約60%の人がこのタイプ
母親と離されると泣き、再会するとホッとして母親に抱きつく。
③不安型 Aを強く感じるタイプ
母親と離されると激しく泣いて混乱し、再会してもなお激しく泣いて「どうしていなくなった」と訴える。常に誰かを必要とし、相手の愛を確かめようとしたり、裏切りを許さなかったりする。
④混乱型 回避型と不安型を行ったり来たりするタイプ
6.幸せとは
幸せの絶対量はどうやっても測れない。われわれの脳は変化分・差分を検出するしかない。幸せは、絶対量ではなく、変化量。山の頂上で感じるのではなく、頂上に向かって上がっている時にこそ感じる。下り坂局面や谷底局面で、自分のここがダメなんだと気づく時がいい。ここを直せば今までよりステップアップできるという感じが好きで、一番幸せ。心の中にネガティブにものをとらえる性質は、ある意味ものすごくポジティブ。まず自己否定から始め、いったん下がる戦略を取る。
今、不幸な人は、「もう私は上がっていくだけ」と思って欲しい。マイナスから出発や谷底にあれば、後は上がるだけだからむしろ幸せと考えたほうがいい。
貴族に生まれるとか、ロイヤルファミリーに生まれるのは、すごく辛いこと。頂上の状態はすごく不快。テストやスポーツで1位を取ったら不安でしょうがない。次は落ちるだけだと思う。心の中では決して喜びに浸ってはいない。「これは一時的な評価だ」と思ってしまう。頂上で心配になるタイプが日本人的。おみくじで大吉を引くと、もう運を使ってしまったとブルーになる。
C.脳科学
1.「科学」と人の「情」「フィーリング」の関係
科学は、統計学的な優位差でもって明らかにしていくもの。それ以外の個性のようなものは、まだ科学では扱えていない、科学のほうが経験知より遅れている。科学が全てを支配しているわけではない、違う見方もあるということを知っておいたほうがいい。統計的なことを参考にするけれども、やっぱり会って感じたことが一番だと思うようにしている。
2.「脳科学」はまだ生まれて20年
1990年代後半になって、ファンクショナルMRIが登場してやっと数分、数秒単位で脳の機能を画像化、分析できるようになった。
脳科学の世界は、地図の全体が分からないから、今どの辺を歩いているのか、歩いたのは全体の何割かが分からない。
3.脳科学と心理学の違いは?
自然科学は論理、人文科学は権威。メディアは論理よりも権威を好む。
脳科学は、生理学の延長だから自然科学の学問、「反証可能性」がないといけない。人文科学である心理学は、哲学の延長だから考え方の仕組みが違っている。「権威者がこう言った」だから反証の可能性はない。臨床心理学は、診断名がつく人や自覚的に辛い人に対しての方法論。
4.電話とリモート
視覚には説得力があるようで、実は上書きされやすく、すぐに忘れてしまう。だからテレビよりラジオのほうが人を説得できるという研究もある。音は記憶の中に刷り込まれやすい。私たちの先祖は夜行性の哺乳類で、暗闇では聴覚が頼りだったことの名残なのかもしれない。
D.対談の経緯
2020年1月14日、二人が連載する「週刊文春WOMAN」の創刊一周年トークイベントがあり、対談には513名の参加があった。この日、二人は初対面だった。
2回目の対談は、3週間後の2020年2月頭に内田也哉子の自宅近くのカフェで、編集者の同席を断った二人の一対一のぶつかり合いとなった。
3回目の対談は、4月の緊急事態宣言を受けて2020年5月に、二人の自宅をオンラインで結んで行われた。
4回目の対談は、202年7月、5ヶ月ぶりに対面した二人。家族について考えることは、自らの生き方を問うことにもなる。
5回目の対談は、2020年9月末。日本の「家族制度の根源」への問い、それでも家族でいる理由を考える。
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