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脳はなぜ「心」を作ったのか

2008年08月11日(月)


脳はなぜ「心」を作ったのか 「私」の謎を解く受動意識仮説
前野隆司著
筑摩書房
1900円

 今で考えたこともない角度からの「心」について内容は、小びとたちを総動員、フル回転しても難解でした。皆さんも挑戦してみてください。
 心は、小びとたちが織りなす巨大な連想ゲームの世界と、それを意識していると錯覚している「私」から成る。心を説明できるということは、死後の世界があり得ない。すべての喪失である死を明確な前提として生を考えなければならない。

1.「こころ」
「心」を理解するためには、「知」、「情」、「意」、「記憶と学習」、「意識」に「意識」することができる「無意識」を含めた六つの働きが重要である。「意識」(「私」)とは、「無意識」(小びとたち)の行っているたくさんの処理の一部を、「私」がやったこととして感じるための機能である。

2.人は、錯覚しやすい生き物
 目で見た瞬間に、私たちが、「赤いリンゴを見た」ことを「意識」するとき、脳で加工され作り出された、生き生きした「赤いリンゴ」のクオリアを同時に感じている。あたかも目で見ているかのように巧みに錯覚させられている。

3.「受動意識仮説」 
 「意識」がすべての始まりだと考えるとつじつまの合わない現象が見つかり始めている。意識が自分の中心であるということを見直し、「意識」は錯覚するシステムであり、「私」は小びとたちの結果を受動的に川の下流で受け取り、せっせと勘違いし続けるための機能に過ぎないと考えれば、説明がつく。

4.心の地動説
 能動的な「意識」が存在すると考えようとすると、「意識」を持たない動物から「意識」を持つ動物への進化は、あまりにも不連続に思える。
 昆虫の運動・行動のすべては基本的にフィードバック制御により行われていて、何かを考えたり、何かを意識したりする「私」は存在する必要がない。昆虫は決して心を持っていない。
 昆虫の脳の中の小びとたちの数百万倍の数の小びとが、人の脳の中にいるだけであり、小びとたちの仕事のしかたが違うのではなく、川の下流に「私」がいることだけが違う。「無意識」の小びとたちの多様な処理を一つにまとめて個人的な体験に交換するために、「意識」というちょっとしたシステムを作り、新しい情報処理のエピソード記憶ができるように、設計変更によって受動的な「意識」を持つ動物へ進化した。

5.小びとたちに人間らしさが宿る
「意識」とは、クオリアとして感じるためのシステムである。あなたの意識である「私」は受動的で、実はそこには個性がない。人間が生まれたとき、脳の中には複雑なニューラルネットワークの原型が先天的に用意される。最初の人員配置は遺伝による。DNAという設計図による。性格や能力は大雑把にいって親に似る。
 あなたがどんな環境に身を置き、どんな体験をし、何を脳の内部に記憶し、どんな思考をするかによって、あなたの小びとたちは、よりあなたの小びとらしくなっていく。まさにあなたの個性となり、自分らしくなる。

6.「小びと」たちのしくみ
 脳は、ニューロン(神経細胞)が約一千億個あつまってできている。メモリにたとえると、百ギガ個で、さほどすごくない。また、ニューロンを刺激すると、およそ千分の一秒だけスイッチがオンになり、一秒間に数百個の電気パルスしか出せない。コンピュータの計算速度は、脳より一千万倍以上早く、コンピュータ一個の素子が一秒間に数ギガ回の計算をする。しかし、脳がコンピュータよりもすごいのは、一千億個のニューロンが、単なるメモリーなのではなく、いっせいに計算しているという点である。つまり、脳は、コンピュータよりもはるかにたくさんの素子が、コンピュータよりもはるかに遅いスピードで同時に計算を行う超並列計算機だということができる。

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