のぼるくんの世界

のぼる君の歯科知識

壊れた脳 生存する知

2008年08月05日(火)


壊れた脳 生存する知著者 山田 規畝子
発行 講談社
体裁 254頁・B6判
本体価格 1600円
発行 2004年2月26日

 医師という病気を診るプロが、身をもって体験した自分の病気(認知障害)について書きとめた書である。三度の脳出血、その後遺症と闘う医師の生き方と「からっぽになった脳」を少しずつ埋めていく「成長のし直し」の記録である。自分の脳を、偉いなあ、と愛してあげて、一生懸命使ってくれる若者がひとりでも増えることを願っている。日ごろ診ている患者さんのいる世界かも知れないのに、想像したこともなかった。

1.幸いなことに言語機能には大きな障害をこうむっていない。
 右利きの人の大多数では言語能力は左大脳半球に依存するが、病巣が右半球にあったことが不幸中の幸いであった。言葉で症状を整理することで、自己の内面に生じた無秩序な部分をも、秩序立ったものへと変えることができた。そして、懸命に自分の行動を観察し、能力低下の領域を客観視できた。失敗に気づき、反省もできた。認知的な障害を回復させるための最も重要な鍵は、自己の欠損を洞察する力である。

2.「高次脳機能障害」とは「高次の脳機能の障害」
 高次脳機能障害では、知能の低下はひどくないので、自分の失敗が分かる。おかしな自分が分かるからつらい。また、高次脳機能障害と痴呆症との明らかな違いは「自分が誰だか知っている」かどうかである。客観的に自分を見つめられ、自分の行動に自覚があるかどうかである。
 視覚が最も信用できない知覚になった。視覚のいい加減さを補う一番の知覚は、触覚である。大脳は忘れていても、小脳が覚えている。しかし、注意力の配分がうまくできない。

3.「人間の行動は記憶がすべてである。」
 人間はまず、記憶をとりあえずちょっとその辺に引っかけておいて、後でじっくり見直すという、二段階の作業をしているのではないか。短期的記憶「ワーキングメモリー」は目の前でどんどん消えていく。短期記憶と長期記憶では責任中枢がそもそも違う。前の担当者からだんだん次の担当者に移っていく過程があるように思う。記憶の中枢を知っているつもりの人は多い。私の海馬はまったく無傷であるが、私の記憶はまったく正常というわけではない。

4.「症状には必ず理由がある」
 毎日繰り返している失敗にも、必ず理由がある。理由が分かると、気が楽になる。病気になったことを「科学する楽しさ」にすりかえて、障害を客観的に見つめ、正体を突きとめたかった。壊れた脳の部分が正常であったときにどんな役割を果たしていたかを教えてくれる。

5.「どんな脳でも必ず何かを学習する」
 できることは確実に増えていくと私は信じている。それには前提として、やろうという意志の力が必要である。回復への過程は二年過ぎてもなお続いている。脳は残された正常な機能を総動員して壊れた部分を補い、危険を乗り越えようとするものらしい。

6.脳は大食漢
 「燃料切れ感」は脳外傷や脳卒中の患者に強く、回復期には誰もがそういう過程を経るようだ。脳の働きに必要な燃料は、糖分のみである。糖分はまさしく即戦力。飴玉ひとつでサッと低血糖症状を緩和してくれるが、その代わり長続きしない。脳出血後は、とにかくお腹がすく。ところが高次脳機能障害で動きが鈍くなっている患者の家族は、食べることを制限する傾向にある。「たいして動かないのに、食べてばかりじゃ太るいっぽうだし、体にも悪い」というわけである。だが壊れた脳は、修復に必要な栄養を欲している。壊れて一から成長し直そうとしている脳には、糖分、たんぱく質、脂肪、カルシウムがたっぷり必要だ。

7.「リハビリテーションは想像力である」
 霧の中にすんでいる人間にとって、一人前に扱われることは過大評価なので、いつも期待を裏切る人間として叱責の原因となる。それがストレスとなり、注意や思考を混乱させ、意欲を失わせる。これが後遺症を負ったたくさんの人が社会に溶け込んでいけない原因でもある。
 簡単なことさえ満足にできなくなってしまった驚きと無能感は、当の本人が一番感じている。私の世界は霧に包まれて冴えなかったが、確かに正常な意識の延長上に存在していた。知能や精神まで子どもに戻るわけではない。大人としてのプライドは、心の中にしっかりと残っている。理にかなわない行動をとったとしても、説明すれば納得するし、反省もする。自分の障害と向き合い、落ち込みながらも、なんとか頑張ろうとしている。
 医療従事者の不用意な発言で患者のやる気をそいでしまっていることが少なくない。また、「判断がつかない人」と「精神異常者」の差を医療従事者には分かって欲しい。そして、リハビリを担当する人間はにはその人固有の障害特徴を把握する力が要求される。現状で「こんなことできる」「あんなこともできる」ということを探し、患者さんのプライドを尊重しつつ、サポートしていただきたい。

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