のぼるくんの世界

のぼる君の歯科知識

思考の整理学

2021年12月27日(月)


外山滋比古著
ちくま文庫
1986年4月24日発行
 2021年3月5日 第125刷
520円
1.「思われる」と「考える」
 ①I thinkAisB
 日本へ来たばかりのアメリカ人から、「日本人は二言目にはI think….というが、そんなに思索的なのか」と質問されて、面食らうことがある。
 「AはBである」と断定してしまっては、相手へのあたりが強すぎるという気持ちが働く。そこで何かで包みたい。人にお金を渡す時に包みに入れる感覚。「むき出しのお金はいけない」は常識。「AはBである」は、はしたない。包めば「AはBだと思う」となる。その心理が英語でしゃべる時に持ち込まれると、AisBではなく、特に考えているわけではないのにI thinkAisBという表現になる。
 ②It seems to meからI think
 ものを考えるには、I thinkという考え方と、It seems to meという考え方の二つがある。たいていの思考は、始めぼんやり、断片的に、はにかみながら顔をのぞかせる。それがとらえられ、ある程度はっきりした輪郭ができたところで、It seems to meになる。それに対して、I thinkの形をとる思考は、既に相当はっきりした形をとっており、結末への見通しも立っている。
 It seems to meの形式は進行形、不定形の思考である。結論ははっきりしていないことが少なくない。はっきりした形をとるようになるには時間の経過が必要である。こういう時間の整理作用に委ねておかないで、概念を思考化していく作業が「考える」ことである。「と思われる」という思考は、当人にとってもはっきりしていない衣服に幾重にも包まれている。その着物を一枚一枚脱がせていくのが、I think本来の思考である。
 ③エッセイ
 書くことは考えることである。エッセイは、最も身近なところで思考の整理をしている。何かを考えたら書いてみる。その過程において考えたことがIt seems to meから、少しずつI thinkへ向いていく。
 エッセイには、「と思われる」ことを綴った随筆(まだ明確な思考の形をとらない想念)と、もう少しまとまりをつけた試論(はっきりした思考を述べた文章)の二つ意味がある。I thinkが試論であるとするなら、It seems to meは随筆、随想と言うことになる。

2.グライダーを飛行機に転換させる智恵
 ①グライダー能力と飛行機能力
 人間には、グライダー能力と飛行機能力とがある。受動的に知識を得るのが前者、自分で物事を発明、発見するのが後者。現実的には、グライダー能力が圧倒的。新しい文化の創造には飛行機能力が不可欠である。
 ものを考え、新しい思考を生み出す第一条件は、独創である。他の追随を許さない着想が必要である。独創、着想をもつと、独善的になる。他の考えは間違っていると感じられれ、一つだけを信じ込み、他のものが見えなくなってしまう。ものを考える人間は、自信を持ちながら、謙虚でなくてはならない。
 ②免許皆伝
 昔の塾や道場は、入門してもすぐに教えるようなことはしなかった。敢えて教え惜しみをする。奥義は秘す。これが昔の教育の狙いである。
 師匠の教えようとしないものを奪い取ろうと心掛けた門人は、いつの間にか、自分で新しい知識、情報を習得する力を持つようになっている。いつしかグライダーを卒業して飛行機人間になって免許皆伝を受ける。伝統芸能、学問が強い因習を持ちながら、個性を出しうる余地があるのは、こういう伝承の方式の中に秘密があったと考えられる。
 ③グライダーを飛行機と誤解する
 今の学校は、教える側が積極的でありすぎる。親切でありすぎる。学習者に依存心を育てる。学校が熱心になればなるほど、学習者を受け身にする。本当の教育には失敗する。
 学校はグライダー人間の訓練所であり、飛行機人間を作らない。引っ張られるままに、どこへでもついていく従順さが尊重される。グライダーの練習に、エンジンのついた飛行機などが混じっていては迷惑する。教師は、言うことをよく聞くグライダーに好意を持つ。勝手な方を向いたり、引っ張られても動こうとしないのは欠陥有りと決めつける。優等生はグライダーとして優秀であるが、必ずしも社会で成功するとは限らない。本当の飛翔ができる証拠にはならない。
 これまでの学校教育は、主として収斂性による知識の訓練を行ってきた。これには、いつも正解が予想される。満点の答案があり得る。長い間学校教育を受けていると、全てのことに、正解があるのだというような錯覚に陥るのは、収斂能力だけを磨かれているからである。そういう頭で、満点の答えのない問題に立ち向かうと、手も足も出なくなってしまう。

3.博覧強記
 ①系統的蒐集
 収集とは何かを一か所に寄せ集めることをいう。集める目的や集める対象については制限がなく、「集める」時の総合的な言葉である。
 蒐集は、趣味や研究などの目的をもって一定のものを集めることをいう。つまり、研究の目的であれば研究に関する資料等に絞って集めることを言う。
 例えば、ごみを「収集」すると書けば、通常の廃棄物の回収のことであるが、ごみを「蒐集」すると書くのであれば、ごみを研究しているので、その資料としていろんなごみを集めてコレクションしているということになる。
 知識を集める時に、系統的蒐集ということが大切である。調べる時に、先ず、何を、何のために、調べるかを明確にしてから情報蒐集にかかる。調べにかかる前に、よくよく考える時間をとらなくてはならない。準備なしに、いきなり本などを読み始めると、途中で計画の練り直しを余儀なくされたりする。
 ②つんどく法
 普通、つんどくは、本を積み重ねて置くばかりで読まないのを意味するが、つんどく法は文字通り、積んで、そして、読む勉強法である。集中読書、集中記憶によって、短期間、ある問題に関しての博覧強記の人間になること。一時的な博覧強記は知識の整理にとって大変有効である。
 テーマに関連のある参考文献を集められるだけ集める。これを片っ端から読んでいく。三冊目くらいから、お互いに重複するところが出てくる。これが常識化した事柄、あるいは定説となっているらしいと見当がつく。前の本と逆の考えや知識が現れれば、ここでは諸説が分かれているのだと分かる。
 全て頭の中へ記憶する。もちろん忘れる。ただ、ノートにとったり、カードを作ったりする時のように、きれいさっぱり忘れない。いくら忘れようとしても、いくつかのことはいつまでも残る。それはその人の深部の興味、関心と繋がっているからである。忘れられなかった知見によって、一人ひとりの知的個性は形成される。
 読み終えたら、なるべく早く、まとめの文章を書かなくてはいけない。記録にしておかないと、強記した内容が消えてしまう。そして、安心して忘れてやる。いつまでもそれにこだわるのは、後々の知識の習得の邪魔になる。

4.思考の整理
 ①姿を隠しやすいのが考え事
ものを考えるのは、なかなかうまく行かない。いい考えが浮かんでも、その時すぐにおえておかないと、後でいくら思い出そうとしても、どうしても再び姿を見せようとしない。思考はごくごくデリケートなものである。考え事をしていて、面白い方向へ向かい出したと思っていると、電話のベルが鳴る。その瞬間に、思考の糸がぷっつりと切れて、もう手がかりもなくなってしまう。
 書斎にこもりっ切りで勉強しているタイプと、ちょいちょいたいした用もないのに人に会うタイプとがある。人とよく会っている人の方が優れたものを書く。
 ②忘却
 コンピューターには倉庫を専念させ、人間の頭は、新しいことを考え出す知的工場に重点を置くようにならなければならない。平常の生活で、頭が忙しくてはいけない。頭をよく働かせるには、“忘れる”ことが、極めて大切である。人間は、文字による記録を覚えて、忘れることがうまくなった。それだけ頭もよくなったはずである。
 忘却は、人間の頭を倉庫としてみれば危険だが、工場として能率を良くしようとすれば、作業の邪魔になるものをどんどん忘れてやらなくてはならない。
 自然の忘却法は、睡眠である。人間は、レム睡眠の間に、その日のうちにあったことを、頭に記憶しておくべきこと(倉庫に入れるべきもの)と、処分してしまってよいもの(忘れるもの)とに区分けしている。自然忘却である。朝、目を覚まして、気分爽快であるのは、夜の間に頭の中がきれいに整理されて、広々としているからである。何らかの事情で、それが妨げられると、寝覚めが悪く、頭が重い。
 今の人間は、情報過多と言われる社会に生きている。どうしても不必要なものが、頭に溜まりやすい。睡眠ぐらいでは処理できないものになる。これをそのままにしておけば、だんだん頭の中が混乱し、「忙しい」状態になる。忘れる努力が求められるようになる。忘れるのは案外、難しい。忘れることに対する偏見を改めなくてはならない。
 ③整理
 知識を自然に廃棄していくのが忘却である。意識的に捨てるのが整理である。
 整理とは、その人の持っている関心、興味、価値観によって、ふるいにかける作業に他ならない。価値の物差しがはっきりしないで整理すれば、大切なものを忘れ、つまらないものを覚えていることになる。
 長く説明しなければならないほど、考えが未整理である。よく考え抜かれてくれば、自ずから中心が絞られてくる。
 ④収穫逓減の法則
 一定の土地で農作物を作る時、ある限界に達すると、生産が伸びなくなっていく現象を支配する法則。知識の習得についても似たことが見られる。
 知識の量が増大して一定の限度を超すと、飽和状態に達する。後はいくら増やそうとしても、流失してしまい、知識欲も低下する。
 知識が飽和状態に達したら、整理が必要になる。忙しい人は整理に適しない。知識があるだけでは、現代においては力にはなり得ない。組織された知識でないと、ものを生み出す働きをもたない。
 ⑤寝かせる
 一時の思いつきは、生木のアイディアである。しばらくは忘れる。しかし、全く忘れてしまっては困る。忘れて、しかも、忘れないようにする解決法は、記録しておくこと。書き留めてある、と思うと、安心する。それでひととき頭から外せる。しかし、記録を見れば、いつでも思い出すことができる。考えたことを寝かせるのは、頭の中ではなく紙の上にする。しばらくして見返す。時の風化作用をくぐらせると、極めて少数のものだけが、試練に耐える。
 問題から答えが出るまでの間、ずっと考え続けていてはかえってよくない。あまり考え詰めては、問題のほうが引っ込んでしまう。無意識の時間を使って、考えを生み出すと言うことに、われわれはもっと関心を抱くべきである。しばらくそっとしておくと、考えが凝縮する。それには夜寝ている時間がいい。大きな問題なら、長い間、寝かせておかないと解決に至らない。
 ⑥とにかく書いてみる
 頭の中は立体的な世界になっているらしい。書くのは線状である。書く作業は、立体的な考えを線状の言葉の上に載せることである。書いているうちに、少しずつ思考の整理が進む。もつれた糸の塊を一本の糸を糸口にして、少しずつ解きほぐしていくように、だんだん考えていることがはっきりする。頭の中に筋道が立ってくる。書き進めば進むほど、頭がスッキリしてくる。先が見えてくる。書いているうちにふと頭に浮かんでくることもある。書き出したら、どんどん先を急ぐ。とにかく終わりまで行ってしまう。そこで全体を読み返してみる。こうなれば、訂正、修正がゆっくりできる。
 ⑦音読
 音読すると、考えの乱れているところは、読みつかえるからすぐ分かる。
 声は、目だけで見つけることのできない文章の穴を発見する。

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