41歳からの哲学
2009年05月08日(金)
池田晶子 著
新潮社
2004年7月15日発行
1200円
タイトルに「哲学」が付いた本は、難しいという思いが強く避けたくなるが、この本の考えてみようと思わせるわかりやすさが、そのイメージを一新させた。
ヒトが他の動物と異なるところは、死についても考えることである。
観念を観念と見抜き、現実と向き合えるまで考えてみたい。
考えることに手遅れはない。
たまには考えてみよう。
2007年2月23日、46才の若さでこの世を去った池田晶子さん。ご冥福を祈る。
1.死とは
死ぬのは常に他人である。だから、自分の死というものは現実にはあり得なくて、死はどこまでも観念でしかない。観念とは、ないものをあるものと思い込むことである。思い込みとは早い話が勘違いである。現実とは、大勢の人の観念によって成立しているものである。生きている我々は、この世には存在しない死を、観念として所有してしまい、現実だと思い込んでいる。
2.自殺
人間は自殺する唯一の生物である。自殺する人は、どうして自殺するのだろうか。自分を無くすることを欲して、つまり無を欲して、自殺するのである。
しかし、我々は墓参りなどをする。死んだ人は無になったとは実は誰も思っていない。また、生きていることの苦しみが無になることが楽になることだとということは、あくまでも、生きている自分がそう思っているだけだということである。楽になったと思っている自分がないのだから、死ねば楽になるなんてことは、やっぱり、無いということである。
死は欲せられながら恐怖される。この葛藤を超越するために、衝動的に身を任せる。発作的に死ぬのである。
3.葬式
死ぬということと、死体になるということは、よく考えると同じではない。死んだ本人が死んで存在しなくなったのかどうか、生きている我々には、やはりわからないのである。わからない死を、わかったことにするために、葬式が要るのである。死なんてものは、この世の中のどこを探しても存在していないのである。葬式とは、死んだものの問題ではなくて、生きているものの問題である。
4.あの世とこの世
「この世の」我々には、「あの世の」ことは、わからない。わかったと思いこむのが、「信じる」ということである。信じる人は、わからないということが、わかっていないのである。わかっていることとして、無理に信じようとするのである。わからないことをわかると信じるところに間違いがある。信じるのではなく、考えるのである。科学によればすべてがわかると思いこむとは、わからないということが、わかっていない。
5.生きてみなければわからない
癌の遺伝子とは、「烙印」、すなわち、そう決められて逃げられない運命である。多くの現代人は、遺伝子が自分のすべてを決めていると思っている。しかし、科学的には、その遺伝子をもつということは、そうなる確率が統計的に高いというだけのことである。なるかもしれないし、ならないかもしれない。それは生きてみなければわからない。それならそれは、その遺伝子を持つことを知らずに生きることと、同じことではなかろうか。人の全遺伝子のうち、作用しているのは僅か5パーセントで、残りは潜在状態にあるそうだ。遺伝子なんて説明は、このわからないことをわかったと思わせるだけのものである。
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