のぼるくんの世界

のぼる君の歯科知識

10歳から身につく問い、考え、表現する力

2018年07月24日(火)


img028ぼくがイェール大で学び、教えたいこと
斎藤淳
NHK出版
2014年7月10日発行
780円
1.「正解」を欲しがる子どもたち
 いきなり「正解」に飛びつこうとする態度は、実社会では使い物にならない。生きていく上で「正解がない」状況は頻繁に発生する。問われるべきは「正解とされてきたものが何か」ではなく、「正解という前提が崩れた時に、どのように対処すればよいのか」ということ。それはとても苦しい営み。答えはすぐには出ず、試行錯誤の連続。試行錯誤を許す余裕がないと、ものを考える楽しみが理解できない
 仮説・検証を飛ばして「それは間違っている」「これが正解」の授業を受け続けても、科学への理解あるいは学びへの興味は促進されない。自分で仮説を設定して検証していくことの楽しさも分からない。勉強する意味も喜びも分からず苦行のようにひたすら問題集を解いて何年も過ごした結果、学ぶ意欲自体を無くしてしまう場合もある。

2.これからの時代を生き抜くために必要な力
 時代の変化に直面しつつ、生き抜くには、「ゼロから考える力」が問われる。新しい価値を発見したり、作り出したりするには、その基盤、土台となる「教養」それも、新しい時代の教養が必要となる。
 新しい価値を理解してもらうには、それを言葉で表現する力も必要。また、「価値観の多様性とどう向き合うか」も重要になる。
 ①ゼロから考える力はペーパーテストでは測れない
 数値化できないもの(正解が一つではない、あるいは正解がないもの)、未来にしか結果が出ない学習成果、これまでになかった発想、継続的な知的営み、すぐに解けない問題に多方面から粘り強くアプローチする力などは、1日限りのペーパーテストでは測れない。
 ②新しい時代の教養
 イェールで教養教育に触れて分かったことは、自然科学でも人文科学でも基本的な学びの作法は同じだということ。そして、専門分野で画期的な成果を上げるためには広い分野に関心を持つことが必要だということ。誰もが学び考え抜くことを楽しみ、そうすることで新しい価値を作りだしていく使命感にあふれている。
 ③言葉で表現する力
 考える時には、価値観を異にする他人に伝わるように「きちんと伝える」ことを意識しながら考える必要がある。
 具体的なものを抽象化し、その考えのプロセスをまとめるのに大切な役割を果たすのが論理の力。論理とは、思考の形式であり、言葉で納得させる手続き。ものごとの関係を、明確に筋道立てて説明する。抽象と具体を行ったり来たりする作業が、学問の楽しさであり、難しさでもある。論理的な思考力をトレーニングする上で、数学はまたとない機会を提供する。
 ④多様性
 異なるバックグラウンドを持つ学生同士が議論することで、集団としての学びはより豊かになる。多様な価値観を知っておくことは、教養の大切な一側面。米国の学校が教室内の多様性を保とうとするのに対して、なるべく均質な生徒を集めて効率的に管理しようとする日本の学校、全く逆方向を向いている。

3.「問う」力がなぜ大切なのか
 社会に出てからも役立つことは、世界共通の学問のルールを知っておくこと。それは、「問う」「考える」「表現する」力を養っておくこと。その準備は、できれば早く、10歳くらいから始めるにこしたことはない。
 アメリカ人は授業になると集団での学びの場に貢献すべく、自ら進んで間違えたりする。そこに居合わせた人に新しい視点を与える。誤答にいたる推論の過程をみんなでシェアできる。間違える人が複数いれば、推論のバリエーションが増える。みんなの前で間違う人は議論に貢献している。
 「国際会議を開催する時、名議長はインド人を黙らせ、日本人に発言させる」という冗談がある。日本の子どもたちが最も苦手なのは、相手の主張を理解した上で、その矛盾を突くような質問をすること。小学校低学年までやかましかった子どもたちが、成長するにつれ、指名されても押し黙ってしまうのか。従来の日本型教育においては、子どもの「問う力」が育まれず、「間違うチャンス」も与えてこなかった。それは本人にとっても、同級生や先生にとつても大きな損失であった。

4.整理された教材の落とし穴
 常に情報の取捨選択を他人に委ねるクセがついてしまうと、いざ新しい情報に接した時、どの情報に価値があるか判断できなくなる。いわば、「情報の嗅覚」が働かなくなる危険性がある。また、特定の目的のためにだけ整理された情報にしか接していないと、知的興奮も経験できないまま過ごしていくことになる。ダイジェスト版の資料集を参照する時には、捨てられた情報があることを忘れてはいけない。

5.「主張」と「わがまま」の違いを教える
 一番の違いは、「なぜ」自分がそう思うのか、「なぜ」そうすることが必要なのかをきちんと説明できるかどうかである。
 子どものわがままぶりにカチンときても、一呼吸おいて、「どうしてそうしたいの?」と返して、一旦自分の言葉で考えさせてはどうでしょう?しだいに、家庭内で共有すべき価値観は何かが明確に意識できるようになる。

6.学ぶ力の「伸びしろ」を見るアメリカの大学
 アメリカの大学入試は、大学側の欲しい学生像にマッチする受験生を選抜する。
日本の大学入試が試験日に向けて走り出す短距離走だとすれば、アメリカの大学入試はトライアスロンのようなもの。継続的に知を深めるための努力を惜しまない、「伸びしろ」を測る。
 イェールでは、卒業生が志望者を面接する伝統がある。面接を担当した卒業生によると、「イェールはリーダーとなる人物を出したい。指示待ちの子より、新しいことに挑戦する、ある意味『いたずらっ子』を求めている」とのこと。

7.読書法
 本を読むことで自分でも意識しないうちに、著者からの問いかけを受け止め、考え、問い返すことを繰り返すことで思考力が向上していく。多種多様な価値観を持つ人たちを理解し、尊重することにも繋がる。
 著者の主張が正しいかどうか、自分の知識や価値観と照らし合わせて考えることができる。入試問題では受験生は、「100%正しい」と仮定して読むことが求められる。こうした読み方ばかりしていると、学問にとって必須の、健全な批判精神が育たない。
 イェールでの授業は、外部参照を行いつつ、古典的著作を批判的に読み込み、議論するスタイルが中心。半面、日本の授業スタイルは、外部参照せずに同化読みさせることが多いため、どうしても一方通行の講義スタイルになってしまいがち。
 学問でも、ビジネスでも、プロであればできる限り一時資料にあたって仕事をする。論文を書く場合には、解説書からの引用ではなく、元の論文を参照する。引用している参考文献のリストがしっかりしているものが役に立つ。

8.「グローバル人材」とは
 人材とは、企業や組織の中で管理される対象であり、人材に「グローバル」を被せると、「世界を股にかけて管理されている」ような形容になり矛盾を感じる。例えば、「ひとかどの人物」という表現があっても、「ひとかどの人材」とは言わない。
 英語ができたらよいというものではない。英語を母語にするアメリカ人学生は、世界中から英語のできる優秀な人材が競争相手として殺到してくるので、むしろそれ以外のスキルを身につけないと生きていけないと考えている。

 

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