ジャンケン文明論
2009年09月02日(水)
李 御寧(イー・オリョン)著
新潮新書
2005年4月20日発行
720円
民主党が大勝した。4年前は自民党が大勝した。小選挙区制では、僅差でも裏表がはっきりし、振り子の振り幅が著しく現れる。そして、政権交代が起きた。それぞれに、ぬるま湯から目を覚ますいい機会になった。初体験に不安や戸惑いはあるが、実体験が今後に役立つであろう。
しかし、日本に果たしてこの激変を起こす制度が定着していくだろうか。今一度考えるためこの本を読んで頂きたい。また、イデオロギーや宗教の争いやテロの解決の糸口になるかもしれない。
1.西洋的二者択一からアジア的三つ巴の思考へ
著者は「誰も勝たない、誰も負けない、東洋独自の循環型の文明」を「ジャンケン文明」と呼ぶ。西洋型の近代文明は、二項対立の「コイン投げ文明」であった。だが、そこからはもう「衝突」しか生まれてこない。今こそ東アジアが、日本、韓国、中国の新しい関係を携えて、その独自の文明の豊かさを世界に発するべきではないか…。「拳の文化」をたどり、時代を読み解きながら考える、「共存」のための文明論。
2.コイン投げとジャンケン
何かを決める時、西洋の子どもはコイン投げをするが、アジアの子ども達はジャンケンをする。投げられたコインは、「実体」である。すべてをコインに任せる。必ず表が勝ち、裏は下に伏せられ、排除され消去されてしまう。
だが、相手の手と取り組んで意味を生むジャンケンは「関係」である。力関係では、絶対的に強いものは存在しない。拳を打っている人は相手の心を読もうとする。切ること、打つこと、そして包むことの違いが、皆一つの手の変化から生まれてくる。つまり、存在ではなく、生成するものだ。ジャンケンは一人で打てない。また、かけ声をかけて、寸分のズレもなく一緒に手を出す平等なゲームだ。その意味で本当の人間のコミュニケーション行為だろう。
3.ジャンケン型の文明
タイプの違った力があることを覚える。ジャンケンは、強さよりも常に弱さのあることが、いかに大切なのかを教えてくれる。
柔らかい「ヒラテ」が固い「コブシ」に勝つジャンケンの「徳」が、東アジアの平和のエンジンであった。東アジアの自然観は、西洋の近代における弱肉強食の思想とは違う。自然には絶対的に強い支配者はない。自然は肯定的意味での「三すくみ」のように、互いに持ちつ持たれつの共生関係で結ばれて、相補と調和を保っている。
4.文化
全世界の192カ国の3分の2が、選挙民主主義を志向している。そのうちイスラム教徒が多数を占めている47カ国の4分の1だけが、選挙民主主義だ。
文化というものは、集団の構成によって皆違う非合理的なものであるから、互いに相対的価値の多様性を認めながら、暮らしていくことを意味する。ここで最も重要な徳目は、寛容だ。文化のコアともいうべき言葉と文字を見るとよく分かる。韓国、日本は漢字を使いながら、同時に韓国ではハングル、日本では仮名文字を使っている。体系がまったく違った異質的な文字を混用している、世界でも珍しい両刀構えの文化だ。
5.コイン投げ型文明
二項対立の記号体系では、これかあれかの選択しかなく、正反対なものを同時に包み込むことが苦手だ。例えば、英語では、男のmanと女のwomanは対語関係になっているが、人もman(human)である。歴史のhistoryはhis+storyすなわち「男の歴史」という意味を匂わしている。日本では、男、女の両方を合わせたヒト(人)という独立した公平な言葉もある。また、昼のdayと夜のnightは相対立しているものであるが、一緒にした一日もdayという。「昼」と「日」は同じ言葉で区別されていない。だから休戦に合意した敵軍が、夜ごと攻めてくるハプニングが起きる。そして、エレベーターは「上げるelevate」をメインにして「降りる」を無視して切り捨てる。日本に輸入されると、名前をきちんと「昇降機」と呼んだ。
- カテゴリー
- 異文化