のぼるくんの世界

のぼる君の歯科知識

弔辞

2021年01月17日(日)


弔辞ビートたけし著
講談社
2020年12月8日発行
909円
 コロナウイルスなんてものまで世界的に流行ってしまった。これからますます時代の大変化は避けられない。自分と同じ世界を目指す若手の姿を見るにつけ、一種の虚無感のようなものを感じるようになった。いろんなものが消えていく。だけど、忘れちゃいけないものもある。だから、この時代に向けて、今が思っていること、感じていることを俺への生前弔辞として読もうと思った。自分には臨終の間際の「大勝負」が残っている。自分が死ぬ瞬間に「俺は笑いがとれるかな」という勝負。
 俺が本当にやりたかったことはお笑いではない。お笑いは二番手。二番手だったから、夢中になりきれないし、客観的に見られた。生涯の仕事を選ぶには二番手が一番良かったと思う。全身全霊で夢中になっている人を見ると「負けた」と思う。
 貧乏も、昔と今とでは違う。昔はコミュニティ全体が貧乏で、一人一人が貧乏に気づいていない。今は金持ちと貧乏人がくっきり分かれていて、貧乏人は貧乏であることに気づいている。俺たちが貧乏だった時代は「上がある」ことで、いつか抜け出してやるという気持ちも生まれやすかった。今の時代の貧乏人は、それに納得してしまって、現状維持に甘んじている。容易に抜け出せない。
 世界共通の現象として「中間層」がいなくなっている、金持ちと貧乏人とに大きく分かれる、二極化されている。絶対上昇できないような貧乏人を大量に作って、奴隷としての彼らのカネをできるだけ広く大量に集めて、ごく一部の人間の懐を無尽蔵に膨らませる、という救いようのないシステムをITやスマホが造ってしまった。
 これからは、ごく一部の人間が全体を牛耳るような社会になる。彼ら一部の人間が作ったルールの中で、俺たちは生かされていく。そうなると、情報が嘘なのか本当なのか、少しも疑問を抱かない社会は危険だ。情報を疑う感覚を持たないといけない。
 最後の最後になって平等になる。人間死ぬことは選べても生きることは選べないのも平等。
1.「漫才」という形式のお笑い
 ①かって漫才は「最底辺」の芸だった
 俺がこの世界に入った昭和40年代、漫才をやる「芸人」は芸能の世界のなかでも一番下のランクだった。当時のお笑いは、落語が寄席の中心で、漫才は「色物」と呼ばれ、添え物に過ぎなかった。同じお笑いでも、落語と漫才の立場は違っていた。
 寄席には「講座に上がる」という言葉がある。噺家は舞台の上の一段高いところで芸を披露する。客が見上げる位置に置くことで、自然と噺に聴き入る環境を作った。
 それに対して、漫才は「テキヤ芸」。縁日や盛り場で露天を出して、興行や物売りをする人が大勢行き交う往来で、客と同じ目線の高さで声を張り上げて、歩いている人の足を止めて、聞かせて笑いをとる。寄席では、落語を聴きに来た客に、こっちを向いてもらう必要があるから、漫才ではつかみ、ネタに入る前のイントロの部分がある。にかく「腕」がいる。
 ②テレビの力で隆盛を極めた漫才
 テレビの力で落語と漫才の立場が完全に逆転してしまった。テレビの力で最低ランクに所属していた芸人が突然売れっ子になってしまった。長い目で見ると、それで漫才師は調子に乗っちゃったんだと思う。
 テレビと社会が一心同体の時代に、客との間に「共通社会」を作ることがネタの肝だった。テレビの力でネタのカテゴリーが大きく広がった。
 ③漫才は、そろそろ終わりを迎える
 テレビが社会と共にあった時代は終わった。テレビから社会の価値観が離れだしている。そこへきてこのコロナだ。漫才は、コロナと共に終わろうとしている。
 ライブという形がエンターテインメントの主流。漫才はボケとツッコミ、そして客の三者による三角関係から成り立っている。ところが、コロナ騒動によるソーシャルディスタンス、がらがらの演芸場では、もう漫才をやりようがない。客のいない、三角関係の一つがかけたオンラインで笑えるわけがない。
 コロナでスタイルが変わる。芸人として食うのが難しい時代に、芸人がコメンテーターとして出演する。主婦や正義の味方になってマトモなことを言わなければならない。それって、自分の「芸」にとってプラスなのか。ユーチューブに進出している芸人もチラホラいるが、全く期待できない。素人でもいつの間にか人気者になれるというのは、どうせ長続きはしない。
 ④テレビ番組の末路について
 テレビ番組がつまらなくなった理由は2つある。文句やクレームを極力避けようとするコンプライアンスの問題、そして減り続ける予算の問題
 昔だったら、番組への文句はほとんどテレビ局のところに行ったけど、今では、直接スポンサーのところにクレームが来るようになっている。こうなると番組も芸人も「やれないネタ」がジャンジャン増えていく。楽屋には「本日のスポンサー」がズラリと書いてあったりする。きわどいネタを放すのを許してくれるスポンサーが無くなった。スポンサーの意向で規制され、その都合に全部合わせるようなお笑いはつまらなくなるに決まっている。一つの意見に30%の人間が文句を言うと、言葉の幅が狭くなってきて、テレビは無難な方向へ行くようになる。しかし、無駄なところにお笑いがある。基本的に芸人は「自分が一番、面白い」と思っている。それをテレビの視聴者に押しつけている。
 「コンプライアンス」と「予算」の2つの問題を同時に解決するためには、テレビの有料化以外に生き残る道はない。企業のスポンサーが不要になるから「嫌なら見るな」というだけで、いろんな会社の悪口も自由に言えるようになる。
2.一時代を築き上げた人やモノは、必ずその時代とセットで生まれてくる
エンターテインメントには寿命がある。
 ①『全員集合』『ひょうきん族』と志村けんについて
 昭和56年(1981年)当時、日本中が見ていた怪物番組『8時だよ!全員集合』が絶対王者だった。生放送で、完全予定調和型のコントを中心に1時間やりきるスタイル。完璧になるまで何度もリハーサルを繰り返す。アドリブはほとんど使わない。
 「予定調和」を全部壊すコンセプトで生まれたのが、『オレたちひょうきん族』。テレビ文化は一つの成熟期を迎えていて、時代が次のもの、新しいものを求めていた。出来上がった「型」があればウケてくれた時期から、壊したもののほうが興味をもたれる状態に。スポーツの分野でも、試合よりも「裏話」を視聴者は見たがるように。ドリフがいなかったら、『ひょうきん族』は成立しなくなるパラドックスがあった。『ひょうきん族』は、単に「壊した」だけで、何か新しいものを作っていない。
 志村けんは生粋のコント師だった。ケンちゃんのコントがいつの時代も王道であったのは間違いない。流行ものの派手なデザートが出てもいつかは飽きられ、結局最後はアイスクリームに落ち着く。
 ②明石家さんま
 台本がある吉本新喜劇のようなコントが嫌いな明石家さんまと意気投合したから、『オレたちひょうきん族』をやらないかと声をかけた。
 大坂のお笑いは、基本的に誰かに合わせるという習慣がない。それぞれが好きなことを喋って、一番面白かったヤツが勝ち、みたいな土壌。
 さんまの芸は「壊す芸」、コントの「裏側」をジャンジャン明かすスタイル。コントで笑わすのではなく、裏側を全部、見せてしまうという手法。目線は当事者ではなく、俯瞰でそのコントを見ている。政治とか科学とか、アカデミックな分野以外であれば、アイツはなんでも笑いにする。
 ③タモリ
 タモリは、寄席や劇場を経験したことがほとんどない、異色のお笑いタレント。だから、大阪とか浅草の匂いが全くしない。敢えて言うなら新宿。アイツを見出したのは、「天才バカボン」の作者、漫画家・赤塚不二夫。
 タモリは、「ものまね」がうまいけど、それ以上に「設定」で面白がらせる。アメリカ人、中国人、韓国人、日本人の4人で麻雀をやるという設定の「4カ国語麻雀」は面白い。元ネタは、藤村有弘のアイデア「インチキ外国語」と、佐々木つとむの得意とした「高倉健・鶴田浩二・渥美清・藤山寛美の4人が雀卓を囲んだら」という設定の声帯模写麻雀。イグアナのモノマネも、昔からマルセ太郎がやっていた。ただ、それらを上手に利用して、オリジナルな芸として見せることができるのがタモリのセンス。意識してひとつ次元の高い笑いを目指している。
 タモリが上手いのは、深夜番組や企画ものの司会。バラエティというジャンルを確立した最大の功労者だと思う。「いいとも」の司会に徹した。客を笑わせることはなかった。結果的に「文化的な立ち位置のお笑いタレント」として頭角を現す。
3.たけし 本気の芸論
 ①最高の常識人であること」
 芸人にとって最強の武器は、確信犯で「嘘」の会話ができないといけないから、「最高の常識人であること」だと思っている。冗談は、相手の言っていることをそれなりに理解していないと言えない。お笑いは、なかなか奥が深い。お笑いとして許されるのはどこまでか。どこから許されないのか。そのあたりの線引きはなかなか難しい。
 自分の中に「常識」というものさしを持っておくことは大事。本質を突いているようで、ギリギリの部分でお笑いにしてしまうテクニックを持たなければいけない。あらゆる場面の会話に、即興で忍び込む技術がなければ、笑いはとれない。
 泣かせるよりも笑わせるほうがテクニックが要る。「笑い」を確信犯的に作るのは本当に難しい。笑っちゃいけないと人間が意識するほど、笑いたくなると言うのが人間の不完全なところで、お笑いという悪魔の本質だと思う。
 いきなり場違いなヤツが来て本音を吐きまくるのが笑いなんだと思う。人間は結局は欠陥品。理想と現実の間に大きなギャップがあるからこそ、そこに「笑い」が生まれる。
 ②徒弟制度
 師匠にしかできないようなレベルの芸術や技術がない限り、徒弟制度は要らない。「勝てないもの」が頭の上にいる、存在することを体で覚えた芸人と、そうでない芸人とでは、芸人としての了見が全く違う。
 ③自分の過去の芸にこだわってはいけない
 池の中にキラリと光るものがあったら、そこが最高にワクワクする瞬間で拾ってみたらガラス玉で「何だよ」となる。だから、拾わせないことが大事。光ることは光るけど、拾わせない、それがエンターテインメントや芸人の世界で一番大切。
 ④芸人のやり方は昔も今も変わらない
 世阿弥直筆の「風姿花伝」の原本に書いてある。「秘すれば花」という「大事なことは秘密にしておいて、観客の心に思いもよらないような興奮を与えることが肝要」「新しいネタはまず田舎でやってみて、上手くなったら都会でやる」「世の中の移り変わりを意識する。古いと思わせても、新しすぎてもダメ」

生き方の最新記事