のぼるくんの世界

のぼる君の歯科知識

白州次郎的

2008年11月28日(金)


勢古浩爾著
洋泉社 新書
2004年12月20日発行
740円
 白州次郎は、「日本一カッコイイ男」といわれ、理を助け無理に歯向かう男である。理を知りながら、情を失わない。一言で言うと、実がある。また、自分の非を認めてきちんと謝罪できる男でもあった。そして、権力に望んだことは「雅量と同情」である。

1.GHQから「従順ならざる唯一の日本人」といわれた男
 白州が天皇の使者としてクリスマスの贈り物を届けにいったとき、場所がないのでどこかその辺の絨毯の上に置いてくれ、といったマッカーサーに、「これは苟も私の天皇陛下の贈り物だ、そんな所へは置くことは出来ないから持って帰る」といったというのである。マッカーサーはしかるべきテーブルを用意させたらしい。

2.男の佇まいが業績や功績を越える
 自分にやましいところがない、隠すべき自分がない、公平な言動が一貫してある、他人の目の色を読まないなど強さの秘密があった。それで、相手が誰であろうと、正しいことを堂々と言えた。
 世の威張るやつはつねに下に威張る。名のある人の家へ行くと、そこの子どもが女中や運転手に威張り散らしている。これは第一に親が悪い。「自分より目下と思われる人間には親切にしろ」は白州の口癖だった。

3.自惚れ
 自惚れは合ってもいいと思うが、それを他人に見せようとするのは余計なことである。自分の一生を他人に見せたがるものは、他人の一生を見たがるものより、人間としては明らかに格下である。見せたがるものには、自分自身で立とうとする最低限の覚悟が欠けている。

4.原則の男である
 人間が作った「規則」より、自分が信じる「原則」に忠実であった。
 「規則」とは、秩序を守るための行為の基準である「原則」とは正しさや美しさを守るための精神の基準である。

5.妥協
 妥協とは、自分で勝手に設定した高いハードルを諦めることではなく、自我や欲望を小さくすることである。原則がはっきりしているところに妥協がある。事態を打開して半歩前進するための積極的な妥協をすることは、人間的な強さのひとつだといっていい。自分の原則の正当性を疑ってみるのもまた強さのひとつである。
 正しさは力に叶わないことがある。しかし、それは妥協ではなく、服従である。権力への物理的恐さには服従があるだけだが、権威への精神的恐れにだけ謙虚と成長への契機がある。

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