進化の法則は北極のサメが知っていた
2019年07月10日(水)
渡辺佑基著
2019年2月28日発行
河出書房新社
920円
国立極地研究所に所属する生物学者。専門分野は、海洋動物(魚、海鳥、海生哺乳類)の生態。生態を研究するためツールとして、動物の身体に小型の計測機器を取り付ける「バイオロギング」の手法を使っている。10年ほど前の大学院生の頃、バイオロギング機器をタイマーで動物の体から切り離し、電波を頼りに回収するという独自のデータ回収システムを開発した。動物を捕獲する必要がなくなり、応用範囲が飛躍的に広がった。
本書では、体温という物理量が生物の姿かたちや生き方をどのように規定しているのかを明らかにしたい。昆虫にも、魚にも哺乳類にも当てはまる統一理論「生物の法則」にもチャレンジしてみたい。
生物といったって、詰まるところが物理なのだ。冬の寒い日に鼻水が垂れてくるのはなぜか。冬の空気は冷たくて乾燥しているが、人間の体内は温かく湿っている。だから、鼻から吸い込まれた外気は、気道を通って肺に送り込まれるうちに温められて湿気を含む。そして、次に肺の空気は外界に近づくにつれて急激に冷やされる。空気は冷やされるほど水分を保持できなくなるので、空気に含みきれなくなった水分が鼻の内面に結露する。これが冬のクリーンな鼻水の正体だ。
1.ブラウン博士が確立した代謝量理論
体重Mキロで体温が絶対温度Tである生物の代謝量は
M3/4e-E/kT
「M3/4」の部分は体重の4分の3乗に比例して代謝量が増えるというパイプ式輸送ネットワークモデルを表しており、「e-E/kT」の部分はボルツマンーアレニウスの式に従う体温の影響を示している。
解説
代謝量が体の面積によって決まるという説を最初に唱えたのは、マックス・ルブナーというドイツの生理学者。大きさの異なる7匹の犬の代謝量と体表面積を測定し、動物の体表面積当たりの代謝量は一定であると主張した。
しかし、1932年、スイス生まれのアメリカの生理学者マックス・クライバーがルブナーの説に異論を唱えた。横軸を動物の体重とし、縦軸を動物の代謝量とすると、全てのデータはきれいに一直線に並んだ。クライバーが注目したのは、直線の傾き。すなわち、代謝量が体重の何乗に比例して増加するかである。ルブナーの説が正しく、代謝量が動物の体表面積によって決まるのであれば、傾きは3分の2になり、代謝量は体重の3分の2乗に比例して増加するはずである。体積の3分の1乗が長さであり、3分の2乗が面積である。グラバーの分析によると、傾きはきっかり0.75(3/4)であり、つまり動物の代謝量は体重の4分の3乗に比例して増加していた。後にクライバーの法則と呼ばれる。本川達雄氏の名著「ゾウの時間ネズミの時間」にあるように、拍動間隔も呼吸間隔も体重の1/4乗に比例して増加している。
ゾウの時間ネズミの時間
kojima-dental-office.net/blog/category/book/mystery
3/4という数字は何を意味するのだろうか。1997年に「サイエンス」誌にニューメキシコ大学のジェームス・ブラウン博士が論文を発表した。代謝量を決定しているのは、全ての動物や植物に共通し、その生命活動を根本から支えているシンプルな体内の構造に違いないと考えた。生物の体内には様々な太さのパイプがぎっしりと配管されていて、それによって生命活動に必要不可欠な酸素、栄養、水分などが運ばれているというアイデアである。
ブラウン博士らは、毛細血管の太さはゾウでもネズミでも大差なく、ともに0.01ミリほどである。パイプが生物の体内で枝分かれする際、1本の親パイプの断面積と、複数の子パイプの断面積の合計は同じであると仮定した。そうでないとパイプの中身(血液など)のスムーズな流れが阻害されてしまうはずだからである。例えば水道のホースの先を指で押さえて断面積を小さくすると、そこだけ流速が急激に速くなって勢いよく水が飛び出す。そんなことが体内で起きたら大変。脊椎動物の代謝量は、パイプ式輸送ネットワークによって運搬される酸素の消費量なのだから、それは単位時間当たりにパイプ式輸送ネットワークによって運ばれる血液の量に比例するはずである。幾何学計算を展開し、パイプ式輸送ネットワークの条件下では、生物の代謝量は体重の3/4乗に比例して増加することを示した。
代謝量は体の大きさだけでは決まらない。もう一つの極めて重要な要素は体温である。2001年にブラウン博士らのグループが「サイエンス」に発表した論文で、どんな脊椎動物でも、また昆虫などの無脊椎動物においても、代謝量は「e-E/kT」の式に沿って、体温とともに曲線的に増加する。そして、あらゆる生物の代謝量を地球上の平均的な環境温度である20度に統一して、代謝量と体重との関係をグラフにしてみると、全ての生物の代謝量が一直線に並ぶことを発見した。それは、生物の代謝量が体重と体温という二つの要素によってほぼ完璧に説明できたことを意味している。
19世紀に熱力学や統計力学の分野で多大な功績を残したオーストラリアの物理学者ルートヴィッヒ・ボルツマンが、温度が上がるほど分子一つ一つの動きが活発になり、異なる分子同士の出会う確率が増えるため、化学反応が促進され、その集積である物質の持つエネルギーの量も上昇することを発見し、19世紀のスウェーデンの物理学者、スヴァンテ・アレニウスは、化学反応の速度は一般にボルツマン定数を使って次の形で表せることを示した。ボルツマンーアレニウスの式と呼ばれている。
e-E/kT
eは自然対数、Eは活性化エネルギー(物質を化学反応の起こりやすい状態にまで引き上げるために必要なエネルギー)、kはボルツマン定数、Tは絶対温度。
2.成長と代謝量
成長という生命現象の本質は、動物が持ち前のエネルギー(代謝量)の一部を切り分け、それを日々の生命活動の維持ではなく自分の体の拡大のために使うことである。だから、動物の成長速度も代謝量に制限されており、体の大きさと体温によって大枠が決まる。
全ての脊椎動物は、幼少期に体重が急増し、成長するにつれて体重の増加率が落ち着いていき、人生の後半で成長がピタリと止まる。体の小さな幼少期ほど自分の体の大きさの割に代謝量が大きく、したがって多くのエネルギーを成長に割くことができる。
体温が高いほど代謝量が増え、成長速度が速くなる。金魚は高い水温で飼育するほど速く成長し、早く大人になって早く繁殖を始める。体温を高く保っているマグロ類は、同じ大きさの変温性の魚に比べてはるかに早く成長する。
3.生物にとって時間とは何か
恒温動物である哺乳類と鳥類は、よく似た睡眠パターンを持っており、レム睡眠(浅い睡眠)とノンレム睡眠(深い睡眠)とが交互に繰り返される。一方トカゲやカメなどの変温動物はレム睡眠が見られない。睡眠パターンが進化の道筋ではなく体温と代謝量の高低によって決まっている。眠ることは時間をスキップさせること。
生物にとっての時間の長さとは、生物が生まれてからこどもを残すまでの1世代辺りの時間。生物の代謝量の一部が成長に使われることを考えれば、絶対的な成長速度は生物の代謝量に比例するはずである。であるならば、大人のサイズまで体を成長させるのに必要な時間(世代時間)は、おおざっぱに言えば、大人になった時に体重(M)を絶対的な成長速度で割ったものとして表現できる。
M/(M3/4e-E/kT)=M1/4eE/kT
これが世代時間を表す式。世代時間は体重「M」の4分の1乗に比例して増加する。また体温が上がるほど曲線的に減少する。
体の大きな生物ほど絶対的な成長速度(1日に体重が何グラム増えるか)は速いにもかかわらず、相対的な成長速度(1日に体重が何パーセント増えるか)はむしろ遅く、大人になるまでに長い時間を要するようになる。つまり世代時間が長くなる。いっぽうで、体温が高くなるほど成長速度が上がって世代時間が短くなる。体が大きいほど、そして体温が低いほど世代時間が長くなる。これが世代時間の法則。
生物にとっての一定時間の重み(あるいは濃度)は世代時間の逆に、体重が増えるほど時間の濃度は薄くなるし、体温が高いほど時間の濃度は濃くなる。体重25キロの小学生と、体重65キロの大人を比較すると、時間の濃度は子どものほうが1.3倍も濃い。小学生の頃は1日が長く、大人になってからの1日は速い。代謝量が落ちると、一定時間の重みが減る。年をとるほど時間の流れが加速していく。
4.中温動物のマグロと変温動物のブリとの違い
マグロは周りの水温よりも10度程度高い体温を保っている。世界中に約2万5千種いる魚類の中で、マグロ類とホオジロザメの近縁種の合わせて20種ほどだけ。体温は高くても30度ほど。
マグロ類は、持続的な有酸素運動(一定のリズムで継続的に尾びれを振る遊泳運動)を担う、体の奥深くに入り込んだ赤黒い筋肉と、その筋肉に配置された、体外に漏れる熱を最小限に抑える対向流熱交換器の効果によって、体温が高く保たれている。スーパーで売られている切り身を見ると、マグロは赤黒い筋肉(血合い)が体の奥深くに入り込んでいるが、ブリは、赤い筋肉が無酸素運動を担う白い筋肉の外側にちょこんと付いているだけ。ブリやサバがいくら尾びれを振っても体温が上昇しないのは、筋肉で発生したわずかな熱は血液に吸収され、鰓に到達した時点で周りの冷たい水に触れて霧散するから。
マグロ類は、同じ大きさの変温性魚類に比べて2.4倍も遊泳スピードが速く、継続的に泳ぐことができる。限られた時間の中で効率的に獲物の探索ができる。変温性のブリは日本の近海を季節に合わせて移動するが、速い遊泳スピードは1年という時間スケールの中で変温動物には決してできない地球規模の広範囲な回遊を可能にする。
しかし、多くの食べ物を食べ続けなければ生きていけないという深刻なデメリットを抱えている。環境が変動して獲物が枯渇したり、他のライバル種に猟場を荒らされたりしたら、これらの魚は真っ先に餓死する運命にある。
5.世界一のスローライフ
ニシオンデンザメは水温ゼロ度前後という世界で一番冷たい海に暮らす変温動物。5匹のニシオンデンザメから、計120時間にわたる貴重な行動データを記録することができた。水温はほぼゼロ度、遊泳スピードは、平均して時速800メートル、人間の歩くスピードの約6分の1。時折スピードを急激に上げる動きを見せる。その際ですら瞬間最大スピードは時速2キロ程度しかなかった。尾びれを左右に振る1サイクルの運動に7秒かかっている。大体同じ大きさの、熱帯のイタチザメの場合、約2秒しかかからない。筋肉の収縮速度が遅く、したがって尾びれの振りが遅く、ひいては遊泳スピードも遅い。急激にスピードを上げる、獲物を追いかける頻度は2日に1回という少なさであった。
コペンハーゲン大学のニールセン博士らのグループは、成長の過程で素材が置き換わらず、生まれた際の環境をそのまま保存している水晶体に含まれる炭素の放射性同位体の濃度を測定してニシオンデンザメの年齢を推定した。稀に捕獲される「赤ちゃんザメ」ですら、50歳以上。性成熟したと考えられる体長4メートルのメスは150歳。体長5メートルでは400歳と推定された。最大体長6メートル、体重1トンにもなる。
6.アデリーペンギンが教えてくれた南極の暮らし方
水温ゼロ度の海の中で、恒温動物であるアデリーペンギンは40度ほどの体温を常に保っている。ペンギンは皮脂を持っておらず、その代わりに空気をふんだんに含むことができる撥水性のきめ細やかな羽毛が全身を覆っている。深く潜れば潜るほど圧力が増し、空気は圧縮されていく。体積が減ればその断熱性も失われる。
深刻な欠陥を克服するためには、ただ食べ続けるしかない。地上ではのんびりしているペンギンも、ひとたび海に入ると、ほとんどマシンと化して目にも留まらぬ速さで獲物を捕らえ続ける。非常に高い捕食能力が大量摂取・大量消費の生活スタイルを可能にしている。南極の海にはペンギンがいくら捕っても捕りきれないほどの大量の獲物、とりわけ脂の乗ったオキアミがいる。
7.マラソンと100メートル走
有酸素運動と無酸素運動は別物であり、両方に秀でることはできない。マラソン選手は100メートル走では短距離選手に敵わないし、逆もまたしかりである。ところが、小学生では、短距離走の得意な児童はたいてい長距離走も得意である。小学生ではまだ、無酸素代謝を支える体の仕組みが十分に発達しておらず、短距離走でさえも主に有酸素代謝によって必要なエネルギーが賄われる。
8.そもそも体温とは何なのか、動物にとってどんな意味を持つのか
恒温動物は体温をほぼ一定に保っているので、体内で進行しているおびただしい種類の化学反応をいつも最適に近い条件下で行うことができる。筋肉を収縮させて体を動かし、消化液を分泌して食物を消化し、新たな細胞を生み出して体を成長させられる。運動能力において変温動物よりも優位に立っている。
しかし、恒温動物が体温維持のために多くのエネルギーを必要とし、それが生存競争上のデメリットとして働く。哺乳類と魚類を比較すると、哺乳類は食べ物が10倍近く必要となる。ということは、食べ物が不足した緊急時に真っ先に餓死するのが恒温動物であり、しぶとくタフに生き延びられるのが変温動物。
恒温動物と変温動物との間に根本的な身体のつくりの違いがあるわけではない。熱の発生量の差と、ちょっとした構造の差。変温動物の場合、脳や肝臓、心臓があっても熱の発生量が恒温動物に比べてずっと少なく、しかもそれを体内に保持する有効な仕組みを持たない。
恒温動物が熱を保持する仕組みとして、対向流熱交換器と呼ばれる特殊な血管の配置が大事な役割を果たしている。逆方向に流れる2種類の血管がぴったりと隣り合っている。体幹部の血液に含まれる熱は、足の先端にたどり着く前に逆方向の冷たい血管に乗り移り、そのまま体幹部へ戻っていく。つまり熱が外界に逃げるのではなく、内部でグルグルと回るだけなので、動物の体全体としては熱の損失を最小限に抑えられることになる。
9.哺乳類や鳥類の体温維持メカニズム
恒温動物は、体内で発生する熱量と体外に出ていく熱量とが厳密に一致している。
寒い環境の中で体温を維持するには、体の断熱性を高めて熱の損失を減らすか、体内の熱の発生量を増やすか、原理的には2つの方法しかない。
陸上の哺乳類は断熱性の優れた毛皮を、海生哺乳類は分厚い皮下脂肪を身にまとっている。毛皮は水中で役に立たなくなるが、皮下脂肪は機能が失われない。また、毛皮に比べてひどく重いという欠点はあるが、水中では浮力剤として働く。
恒温動物の熱源は代謝熱。脳や肝臓、小腸などの貢献度は大きいが、環境温度に合わせて活動量を調節できるわけではない。容易に活動量を調節でき、なおかつ大きな熱量を発生させる潜在力を備えた器官は筋肉。意識的に全身の筋肉を動かすことによって熱を発生させる。
体温が上がりそうになると、体内の水分を蒸発させることによってそれを防ぐ。1グラムの水分が気化するたびに約580カロリーの熱量が環境中に排出される。人間を含む哺乳類の多くは汗をかいて蒸発させる。汗腺を持たない鳥類や一部の哺乳類(犬など)はハアハア荒く呼吸することによって口から水分を蒸発させる。唾を体に塗りつけることによって熱を排出する動物もいる。手っ取り早く水浴びをする動物もたくさんいる。
生物体と外界との熱のやりとりには伝導と放射がある。
伝導によって動く熱量は、接する物質の温度差に比例する。また、物質による熱伝導率の違いによって大きな差が生まれる。
水と空気の伝導率の違いが最も重要。水は空気よりも25倍も熱の伝導率が高い、だから冷たい水は同じ温度の空気に比べて動物の体温を奪いやすい。それに加えて水は空気に比べて熱容量が4倍大きく、温まりにくい特性を持っているため、体表面との温度差がなかなか埋まらない。この二重の効果により、冷たい水は冷たい空気に比べて圧倒的に動物の体温を奪いやすい特性を持っている。なお、熱の伝導は周りの空気や水が動いていると促進される。
放射は互いに接していない2つの物質の間に起こる熱のやりとりを指す。全ての物質は、絶対温度に応じた電磁波を放射している。人間の体も例外ではなく、皮膚の温度に応じた赤外線を常に放射しており、それはサーモグラフィを使えば可視化することができる。
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