生物学的文明論
2012年01月15日(日)
本川達雄著
新潮新書
2011年6月20日発行
740円
衝撃的な『ゾウの時間 ネズミの時間』から20年。再び、著者が現代社会の問題点を生物学者の視点から切り込む。生物多様性、地球温暖化、南北問題そして共生やリサイクルなどを考えるヒントもおもしろい。また、今まで見逃していた生物や自然の不思議さに気づかされる。そして、還暦を過ぎたこれからの生き方にも驚かされる。
『ゾウの時間 ネズミの時間』
kojima-dental-office.net/blog/20090416-1170
1.ナマズの教訓
可愛い、おもしろい、役に立つというような、自分が好き、自分に得になると感じられるものとばかり付き合おうとする風潮が、今の世の中、非常に強い。嫌いなものとは付き合わないし、さらには排斥する。
しかし、今や、この狭くなった地球上で、様々な価値観、様々な宗教・信条を持つ人たちと、共に生きていかねばならぬようになった。そういう世界には私たちの常識的な見方は通用しないことも多い。たとえ嫌いでも、その相手が独自の世界を持っていて、それなりにちゃんと生きているということが理解できれば、付き合っていけるものだと私は思っている。そういう時だからこそ、嫌いでも付き合っていける智恵が大いに役立つと思う。
人間に役立つという一方的な側面だけを集めて、今の私たちは自分の世界を作っている。でもそんな世界に住んでいると、自分自身も功利主義だけの薄っぺらな人間に成り下がるおそれがある。私にとって相手が役に立たないということは、相手が私を否定したり私に抵抗したりする側面を持っているということだ。そういう側面を含めて相手と向き合う時に、世界も私も薄っぺらではない充実したものになる。
2.サンゴと褐虫藻
熱帯の海には、植物性プランクトンがあまりいないので、水は非常に透明で、きれいだけれども、とても貧栄養で暮らしにくい環境。そして、サンゴ礁には、藻類の林なども見あたらない(山や畑から多くの養分が流れてくる海には藻類が育つ)。なのに、ものすごいたくさんの生物がいる。
それは、サンゴの林は、褐虫藻の林でもあるからだ。日本の生物学者 川口四郎が1994年に、サンゴの細胞の内部に褐虫藻が棲んでいることを発見した。サンゴと褐虫藻は共生している。サンゴは酸素や食べものをもらう。褐虫藻は安全な家に棲まわせてもらい、リンや窒素と二酸化炭素ももらう。
サンゴは褐虫藻からたっぷりと栄養を貰い受けているが、自分の成長に充てるのは1パーセントほどだ。残りの半分を、自分の生活に必要な支出にあて、あとの半分は粘液を作る費用にあてている。サンゴの体から剥がれ落ちた粘液は、水中を泳いでいる生きものも、水底の生きものも、どちらも養っている。サンゴと褐虫藻のたぐいまれな共生と無駄のないリサイクルが、生物多様性に溢れたサンゴ礁生態系を作り出している。
3.科学と生物多様性
科学は普遍性を大切にする。いつでもどこでも何にでもあてはまる法則、それが科学では重要。ところが生物は個別主義でご当地主義だ。異なる環境ごとにそれに適した異なる種がいる。だから多様な生物はそれぞれが特殊なのであって、普遍性を大切にする科学の目から見ると、そんなものは重要性が低いと思われがち。
でもかけがえがないとは特殊だと言うことだ。長い歴史を持った特殊なもの、そういうものに価値があるのだという発想が、生物多様性を大切にする根底にあるべきだ。
科学は、世界を単純化して眺めるものだ。科学が質を問わないのは、構成要素を単純化するためだ。ところが、生態系は、質の異なる非常に多くの生物たちが相互に複雑な関係を結んでできあがっているものだ。これは科学が苦手とする相手なのだ。なにせ単純に量に換算して数学的に処理することが困難だ。
4.水と生命
氷が水に浮くのは、不思議な性質の1つだ。普通、固体は液体より重いものだ。分子同士がしっかり結びついて構造を作るのが固体だから、液体の時より体積が小さく比重が重くなる。氷のように逆に軽くなるのは、ほとんど例がない。氷のほうが軽いので海の表面を氷が覆うことになり、氷が断熱材となって、下の水は外の寒さから守られている。固体である氷が軽いからこそ、水という液体の環境が安定して存在できる。
水の沸点は100度。これも驚くべきことなのだ。水の分子量は18。こんな小さな分子だと、沸点はマイナス80度前後だ。だから室温では気体の状態になっているのが普通だ。ところが水の場合、分子同士が引き合っているから気体になりにくく、室温でも液体のままだ。水が液体であることは、生命にとって最も基本的な条件だ。
5.水と農耕
地球は水惑星だから、水はふんだんにある。でも、水の97.4%は海水で農耕には使えない。使えるのは淡水。そしてその多くは氷として極地にあり使用不可。川や湖のように、農耕に自由に使える淡水は、地球の水の0.01%以下と、ごくわずか。深い場所の水ほど、地中に滞在していた時間が長く、より多くの塩類を溶かし込んでいる。これを使い続けると、農地に塩類がたまり、植物が育たなくなる。
米1キログラムを作るのに3.6トンの水が必要だと見積もられている。家庭で一人が1日に使う水の量は、0.24トン。この2倍の水が、茶碗1杯の米を作るのに必要。日本は大量の穀物を輸入している。これはその数千倍の水を同時に輸入しているとも言える。世界では不足している水を、日本という水の豊かな国が、これほど大量に輸入してもいいものかという、道義上の問題があることは、覚えておくべきだろう。
6.食べものとエネルギー
恒温動物は変温動物の30倍ものエネルギーを使う。同じサイズの動物で比べれば、恒温動物の方が変温動物より15倍たくさん食べる。変温動物では、食べものから吸収したエネルギーの30%が肉になる。ところが恒温動物では、食べものから吸収したエネルギーの97.5%は維持費として使われ、肉に変わるのはたった2.5%。
恒温動物より変温動物を、大きい動物より小さい動物を食べた方が、効率がよいことになる。直接穀物を食べた方がずっと無駄が出ない。魚も変温動物なので、日本人の食生活がこの点でも評価されるべきだと思う。
7.人工生命体
ヒトの寿命は、本来40歳前後。だって40歳代で老いの兆候が表れる。自然界では老いた動物は、原則として存在しない。
長い老いの時間は、医療をはじめとする技術が作りだしたものだと言えるだろう。だから還暦を過ぎた人間は、技術の作り出した「人工生命体」だ。人生の前半は生物としての正規の部分、後半は人口生命体という、二部構成でできているのが、今の人生なのだろう。この二つの部分は大いに異なるものだと、きっちり覚悟して生きていくべきものだと私は思う。
定年後はそれまでとは時間が異なることをはっきり認識しておく必要がある。時間を加速するような機械ばかりを身の回りに置かない方がよい。エネルギーを少なくすれば緩やかな時間が生まれる。
8.生物の時間と絶対時間
時間は直線的に流れていって元には戻らないのだが、生きものは、エネルギーを注入することによりエントロピーの増大を抑え、元の秩序だった体に戻している。
私たち日本人は回る時間の中で生きてきた。60歳で還暦、仏教では輪廻。西田幾多郎的に言えば「絶対矛盾的自己同一」。キリスト教においては、神がこの世をお創りになった時から世の終末まで、神の時間が一直線に流れていく。西洋人は回る時間をサイクルと呼び、タイムと呼ぶことに抵抗を感じるようだ。
9.「時間環境」という環境問題
恒温動物は大変なエネルギーを使って体温を高く一定に保っているが、これは時間を速く一定の速度に保つためだと考えられている。体温が一定ならば、すべての事象がいつも同じ速度で繰り返せるので、予測も立てやすくなるし、体内の統制もとりやすくなるだろう。便利なものを作れば社会の時間は速くなり、体の時間とのギャップもどんどん大きくなっていく。時間環境が破壊されている。
速い時間とゆっくりの時間では、時間の質が違う。じっくりと時間をかけてつきあったものこそが、自分にとってかけがえのない大切なものになっていく。
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