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「先送り」は生物学的に正しい

2015年03月13日(金)


「先送り」は生物学的に正しい究極の生き残る技術
進化生物学者 宮竹貴久著
2014年3月19日発行
講談社新書
840円

 一般的に「先送り」は、悪いことだというイメージがある。仕事も、勉強も、家事も、先送りにしたツケはたいてい後で自分に返ってくるとされる。しかし、先送りこそ、多くの生き物が進化の過程で身につけてきた賢い生き残り戦術なのだ

1.生物に学ぶ先送りの正しさ
 現代の生態学では、「食う/食われる」の関係はピラミッド型ではなく、何種類もの捕食者と何種類もの被食者がお互いに網の目上の関係を織りなす構造になっていることが明らかになった。これを「食物網(フードウェブ)」と呼ぶ。つまり、食うものと食われるものの世界は、ガチガチの縦社会ではなく、時空間的にダイナミックに動く柔軟な仕組みなのだ。食う者は、旨い餌から先に食う。より栄養価の高いエサが出現すると、標的は変わる。
 食う者と食われる者が常に対峙し続ける日本の縦社会の管理職ピラミッドの脆弱性に比べ、生物が進化させてきた食物網の方が、変動する環境に対してよほどうまく機能する仕組みである。

2.本質的なことは先送り
 ゆとりがあるうちは、形式的なことだけで物事を進めて、本質的なことは先送りする。それで何も問題は生じない。つまり、変わる必然性がない。ゆとりのなくなった現代では、環境に合わせて適応できない会社が生き残れるわけがない。イエスマン型ピラミッドは、即座に機能しなくなる。先送りが有効かどうかは、やはり環境次第だ。
 問題を先延ばしにしたい場面は、上司による「アイデアを出せ」である。「これは」と思うアイディアでも浮かばない限り、へたなアイディアを言うより「先送り」する。積極的にアイディアを出そうとする人たちが存在するからこそ、“提案しない人”が生き延びられる。余力のあるものの風通しの悪い大きな組織こそ、死んだふり戦略が機能する可能性が高い。

3.嘆く上司
 「部下が自発的に動かない」「リスクを取らない」と嘆く上司がいるとしたら、それは、部下たちにとってはむしろ、そうした方が生き残りの可能性を最大にできる組織文化であることの表れかもしれない。部下がダメなのではなくて、部下は常に正しく、最適な生存戦略をとっているにすぎないということに、トップが気づかなければならない。
 このような上司の常態化こそ、真の会社の危機がある。だから上司は、戦略的に先送りをしている部下と、何も考えずに放置しているだけの部下を識別することが大事である。
 全員がいま突っ走る必要はない。部下のみんなが惰性に流されてしまった時、状況が変わったと際に、生き残るために対処できる部下も必要だ。個々の(社員の)能力に変異がなくなってしまった時、状況の変化について行けなくなり、その生物(組織)集団は絶滅するというのが、生物界の常識。

4.一日の長さを測る「時計遺伝子」
 体内時計は、僕たちの体内のあらゆる細胞に存在し、一日の長さを測っている。細胞質の中に溢れ出した「時計タンパク質」は、朝日に浴びる光の刺激を受けると分解されて、細胞質の中から消滅していく。十分に光が当たって細胞質の中の時計タンパク質が減りすぎると、再び核の中の時計遺伝子は、時計タンパク質を増産するよう指令する。時計タンパク質の増減周期が、ほぼ24時間なのだ。
 人の「概日時計」にもそれぞれ個性がある。23時間40分の時計を持っている人もいれば、24時間05分の時計を持つ人もいる。昼夜の環境では、朝日を浴びることで時計がリセットされるので、人は皆24時間に合わせて生きていくことができている。例えば、24時間よりも短い時計を持っている人に、真っ暗な中で1週間以上生活してもらうと、起床する時刻がだんだん早く早くなってしまう。一日の時間が長い時計を持つ人は夜型に、短い時計の人は、朝型であることも分かりつつある。

5.個体の融通性
 ダーウィンは、適者生存と遺伝のメカニズムだけで生物は進化できると説いた。ところが、最近の進化生物学研究の成果が示すのは、「遺伝だけでは生物の運命は決まらない」という事実である。これは「表現の可塑性」と呼ばれ、育ってきた環境によって遺伝に修飾が加えられ、生物は自分が遭遇した環境にあうように、その姿かたちや振る舞い方を切り替えて生き抜くことができる。
 同じDNAを持ったタンポポでも、暖かい季節に育つと草丈を長く伸ばすタイプになるが、寒い季節に育つと地表を這うような「ロゼット」と呼ばれる草型に成長する。ある種の「ゆとり」とも呼べる個体の融通性が、始めから遺伝子の中に組み込まれていることが認められてきた。

6.「生まれ」より「育ち」が重要
 遺伝と環境がそれぞれどのくらいの割合で表現系を左右するのかと言えば、図形やパターンを認識する能力は30%が育った環境によって決まるし、文章力は86%が環境によって決まる。素直かどうかは50%環境によって決まる。内向きか外向きかは60%近くが育ちに左右される。
 狩野賢司博士(東京学芸大学)らが、カブトムシの父親と子どもたちを育てて角の長さを測定し、カブトムシの角のサイズは95~99%、遺伝ではなく環境で決まることを報告している。育った環境、つまり、栄養の富んだ腐葉土の中で育ったオスが大きな角を持っていた。

7.オタマジャクシは、敵のタイプを認識し、自ら防御方法を変えている
 オタマジャクシはサンショウウオがいる池では、その半透明の分厚い皮膚の頭を2倍ほども膨らませて、敵に飲み込まれないように姿を変えるという融通性をDNAの中に組み込んでいる(岸田治博士〈北海道大学〉)。実験的にヤゴと同居させたオタマジャクシは、頭を膨らませるのではなく、尾ひれの皮膚を厚くしその筋力パワーによってより俊敏に泳ぐ向きを変えることができるようになった。
 オタマジャクシから学ぶべきことは、経験に基づいて危機を察知し、自分を変える能力の重要性だ。そして、複数の敵の違いを識別し、その敵ごとに防衛戦術を変える融通性をDNAに組み込んで暮らしているヒトもまた、同じ生物であるという認識だ。

8.共生のすすめ
 片方だけが損をする寄生関係も、歴史が長くなると、双方が得できる「共生関係」に変わるという生物界の常識が、進化生物学に教われる大切な知恵だ。持たなくても良い機能は無駄になるので削減される。そうすると、その一つしかない機能を両者は共有しなければならない。共有し合わなければならない「あるもの」を巡って、両者が対立して奪い合うという無駄を、多くの生物は進化の過程で止めた。ひとつのものを両者が共有して生きていくのが、多様な生物が共存できた基本原則である
 人間は、この基本原理に立ち返るべきだ。そして、たとえ最初は寄生や差別から始まったとしても、憎しみ合って滅ぼし合うだけではいけない。両者が、共有しなければお互いに滅びる価値観というものをいずれは見出して、共生の道を模索する。そのための方法を進化生物学に学ばなければならない。
 18億年前に酸素を呼吸のために使える能力を持った細菌を、ミトコンドリアとして細胞の中に取り込み、共生関係を結んだものが、真核細胞になった。1970年に生物学者リン・マーギュリス(アメリカ)によって「細胞内共生説」が提唱された。DNA解析技術の進歩によって核の中の遺伝子とミトコンドリアの遺伝子は、その起源が違うことが明らかになり、この説の確かさが証明されている。

9.派閥の本質は「利己的な群れ」
 空を見上げれば鳥たちが群れている。群れは仲良く見えるが、助け合っているわけではない。群れというその存在に寄生している。2羽の小鳥が飛んでいるとする。新たな一羽が飛ぼうとする時、2羽の間を飛ぶのが一番安全だ。みんなが他人のことを思いやって仲むつまじく群れているなどというのは、都合の良い妄想でしかない。生物が群れる本能から考えれば、勝手に描いたとんでもない誤解である。
 弱者は、お互いが寄生することで社会の敵から自分の身を守っている。それが動物世界の現実である。利己欲が一致した弱者同士が、集まることで群れができあがる。派閥である。

10.弱者が自立を目指すのは間違い
 生物世界では、資源の富める者に「パラサイト(寄生)」する者たちで溢れている。生物世界では、こうした寄生生活は、正しい生き残り戦略として進化してきた。
 人間の社会では、弱者を救い出して居場所を造り、自立させようと躍起になっている。しかし、進化生物学的見地から言えば、弱者が自立なんかを目指すのは間違っている。

11.ミュラー型擬態
なぜ毒を持つ強者が、違う種類なのに同じような毒々しい色彩をまとうのか?
 フリッツ・ミュラー博士(ドイツ人)は、派手な警告色を持つチョウの味のまずさを鳥が覚えて避けるようになるには、鳥の学習能力が必要なことに気がついた。味のまずいチョウがそのアピール効果を上げるためには、まずいことを鳥に覚えさせるだけの“ある程度の数”が必要である。
 味がまずく、似たような警告色を身にまとったチョウの個体が増えれば増えるほど、鳥に襲われる個体の割合は減り、警告色の効果は増すのである。その効果は、よく似た他の種類のチョウにも及ぶ。つまり、数の論理である。すべての警告色を持つ生き物同士が似る現象にも当てはまり、今では「ミュラー型擬態」と呼ばれている。
 毒のある生物は、わざと自分を敵にアピールすることで敵の記憶を目覚めさせる。人間の社会だって同じだろう。周囲から畏れられる本物の強者は、どっしりと構えていて、それでいて、決断した時には容赦なく実行する。出すぎた杭なら、誰も叩くことはできない。その道を究めた人だと誰もが認めているためだ。

12.“いい加減な擬態”をする生き物
 2012年カールトン大学(カナダ)のトム・シェラット教授らが、体のサイズの大きなミミック(ハナアブ)ほどモデル(ハチ)に似ていることを明らかにした。鳥たち捕食者の視点に立つと、一度の狩りでなるべく大きなエサを捕まえる方が効率的だ。そのため、大きなハナアブの方が、捕食者による自然選択の圧力は強い。小さなサイズのハナアブは、大きな仲間よりも防衛のプレッシャーは少ない。そのため、防衛以外の生存戦略にエネルギーを投資するゆとりができる。
 これは、大きな会社ほど小回りが利かないという現実ににている。小さな企業や地方の企業では、生き残りをかけた大胆な発想の転換が可能だ。これに対して大企業は、小回りがきかないことが仇になることも、進化生物学は教えてくれる。

13.ジャンクDNA
 10年ほど前までは、DNAの配列のうち、生物の特徴をつくる部分は1割にも満たず、残りの9割以上は何も機能していない「ジャンクDNA」だと考えられていた。ところが、この9割のジャンクDNAの多くが、普段は使われることのない「別の生きる術」に切り替えるためのスイッチの役目を果たしていることを解き明かしつつある。

14.Evolution(進化)
 欧米で生まれた「Evolution(進化)」という言葉に本来、進歩するという意味はない。これは変わるという意味である。つまり、進化も含まれるし、退化も含まれる。明治時代にある学者が日本語に訳した時、この単語を変化ではなく、進化としてしまったために日本では進化に対する誤った捉え方が定着してしまった。前進が常に正しいとは限らない。その時々の環境に合わせた「変化」と「選択」が求められる。変化する時には、退化や縮小も、進化生物学的な正解となることが多いのだ。こういう視点を持つことは、きっと大きな意味がある。

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