TPP亡国論
2012年06月30日(土)
中野剛志著
集英社新書
2011年3月22日発行
760円
著者が、誰にでも手に入れられる情報をもとにし、誰にでも納得できるような論理を用いて、日本のTPPへの参加について反対し、その根拠を述べている。TPPに関する是非の議論を通じて、日本人の思考回路を束縛し、戦略的に考えられないようにしているブレーカーの存在を示し、日本人の戦略的思考回路を回復させる提案をしている。また、リーマンショック後の世界の構造変化や、日本が直面している問題の根本を解説している。
1.貿易などに関わる制度・仕組み
WTO、FTA、EPA、TPPについては、以下の予備知識を参照
kojima-dental-office.net/blog/20120119-3076
日本はFTAに関し、世界からで遅れているといわれている。FTA相手国との貿易額が貿易総額に占める割合は、日本は16%であるが、韓国は36%、アメリカは38%、EUは30%(EU域内貿易を含めると76%)である。
2.TPP(環太平洋経済連携協定)とは何か
2006年5月にシンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドの4カ国の間で締結された自由貿易協定(通称「P4」)を広く環太平洋地域の諸国に拡大しようとしたものである。このP4は、物品の貿易関税を、原則として全品目について即時または段階的に撤廃するという急進的なものである。また、サービス貿易、政府調達、知的財産、金融あるいは人の移動なども対象にする包括的な協定である。これは、自由化の程度が極めて高度にすすんだ協定であると言える。
2009年11月に、アメリカのオバマ大統領が関与を表明し、それによってTPPの性格は大きく変わった。TPPは、4つの小さな通商国家の集まりから、アメリカの世界経済戦略の一端へと変質した。
2010年3月、この4カ国に、アメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナムが加わり、8カ国で広域的な経済連携を目指す「環太平洋連携協定」の交渉が開始された。これがいわゆるTPPである。10月にマレーシアが参加し、9カ国がTPPの交渉に参加したことになる。
3.日本のTPPへの参加反対根拠
第1に、TPP賛成論には、基本的な事実認識の誤りがあまりに多すぎる。
①全品目の平均関税率について見ると、日本は韓国はもちろんアメリカよりも低い。(2008年世界銀行WDIオンラインデータベース)農産物に限定しても、日本は韓国やEUより関税率が低い。日本の食糧自給率は4割程度しかなく、日本の農業市場は開かれすぎなくらいである。
②アジア太平洋の成長を取り込む場合に重要なのは、中国であり、次いでインドあるいは韓国であろう。しかし、TPPには、この3つの国のいずれも入っていない。
TPP交渉に参加している国と日本のGDPシェアをみると、アメリカが70%を占め、次いで日本が約25%、オーストラリアが約4%、残り7カ国あわせても約4%にしかならない。要するに日本が参加した場合のTPPとは、実質的に日米のFTAなのである。TPP交渉参加国の中で日本だけが一次産品輸出国ではなく、工業製品輸出国である。
③日本と同様に工業品輸出国である韓国は、アメリカとの二国間の交渉で勝負できる米韓FTAを選択している。経済産業省はなぜ日本についてはTPP、韓国についてはFTAで計算しているのだろうか。日韓で条件をそろえて、試算を行わないのか。政府も、韓国がFTAを選択し、TPPを選択しないであろうと見込んでいる。
④TPPを安全保障の一環とみなす論理は、完全に破綻している。
もし、「アジア太平洋地域の安全のためには、アメリカ中心の太平洋同盟網が必要である」という現状分析が正しいのであれば、アメリカは、日本がTPPに参加しなくとも、その同盟網を維持する。だから、安全保障を理由にしたTPP参加論は成り立たない。
他方、もしその現状分析が間違いで、アメリカは日米同盟を重視していないのであれば、TPPへの不参加を理由に、アメリカが日本の安全保障を放棄するかもしれない。しかし、その場合は日本がTPPにしたからといって、日米安全保障が続くという保障も全くないのである。
⑤「資源小国の日本は、貿易黒字が続かないと、資源を買う外貨がなくなる」というのは、変動相場制では、理論的にはあてはまらない。それは、固定相場制での話である。しかも、外貨は貿易収支のみならず、所得収支(対外債権からの収入)によっても獲得できる(ちなみに、経常収支とは、「貿易収支+サービス収支+所得収支+経常移転収支」のことである)。日本は世界最大の対外債権国であり、例えば、2008年に貿易収支が葯4兆円であったのに対し、所得収支は約16兆円もあった。
⑥厳しい世界市場の情勢の中で、それでも韓国が輸出を伸ばそうと努力しているのは、韓国がGDPの4割以上を輸出に依存する外需依存国だからである。これに対して、日本は、GDPに占める輸出の比率は2割にも満たないという内需大国であり、韓国とは事情が違う。
第2に、TPP賛成論者は、経済運営の基本をあまりに知らなすぎる。
日本経済の長期停滞の最大の原因は、財政赤字ではなくデフレである。
構造改革は、生産性の向上を目指すものである。生産性の向上は物価の下落をもたらすものなので、インフレの時はよいのであるが、デフレの時には、かえって景気を悪化させるものである。貿易自由化も、需要不足と供給過剰を深刻化し、さらなる実質賃金の低下や失業の増大を招きデフレを悪化させることになる。
デフレ不況の中で、企業の法人税を減税しても、貯蓄を増やすばかりで投資を行ず、国民は豊かにはならない。また、企業がグローバル化すると、国民給与の低下をもたらし、貧富の格差を拡大する。企業の利益と国民の利益は一致しなくなる。
公共投資こそが、唯一、デフレ下において巨大な需要を生み出す手段なのである。
なぜ日本は、アルゼンチンやギリシャのような財政破綻した国よりも、政府債務残高のGDP比が大きいのに、金利が高騰したり、通貨が暴騰したりするような事態になっていないのであろうか。それは国債の保有者や国債の発行の仕方がまったく違うからである。
例えば、ギリシャ国債の保有者は7割が外国人である。このため、国債の償還金は大半が海外に流出していく。しかも貯蓄不足の国であるから、政府が海外の債権者に借金返せなくなる事態が起こりうるのである。また、ギリシャ国債は、自国に通貨発行権のないユーロ建てであるため、お金を刷って返すことができない。
日本は、国債を全て自国通貨建てで発行し、かつその保有者はほぼ日本人で占められている上、経常収支黒字国なのである。
第3に、TPP賛成論者は、世界の構造変化やアメリカの戦略を全く見誤っている。
アジア通貨危機後、東アジア諸国は二度と債務危機に陥らないように、経常収支黒字をため込み始め、外貨準備高を積み上げていった。それが、世界中、特にアメリカへと環流し、その結果、金利が低下し、世界経済が好況になっていった。
しかし、アメリカだけが輸入し、一方的に経常収支赤字を計上する一方で、東アジア諸国は輸出一本やりで、経常収支黒字をため込むという、世界的な貿易不均衡は、もはや持続不可能だということである。リーマン・ショックという世界経済の一大地殻変動の意味を理解しておかなければならない。
アメリカは、グローバル・インバランス(世界経済のいびつな構造を是正)するため、そして自国の雇用を増やすため、輸出倍増戦略に転換した。TPPは、その一環として位置づけられている。
日本、ドイツ、中国といった経常収支黒字国は、内需を拡大し、輸入を増やすべきである。
日本は輸出主導ではなく、内需主導の成長によって輸入を増やすべきである。ただし、輸入を増やすためのやり方は、TPPへの参加による関税の撤廃によるべきではない。
グローバル化した今日の世界において、国内市場を保護するための最も強力な手段は、関税ではなく、通貨なのである。海外生産の進展によって、関税の有無は、もはや輸出の増減と関係なくなりつつある。国際競争力を強化し、世界市場を奪い合うために、自国の通貨を安く誘導している。
4.経常収支の黒字
経常収支=貯蓄(国内総生産-消費)-投資-政府支出
政府支出を無視すると、「経常収支の黒字」とは一国の貯蓄が投資よりも多いことである。経常収支は、貯蓄と投資のバランスの結果に過ぎない。経常収支が赤字であっても、国内の消費や投資が増加すれば、経済は成長するものであって、経済成長のためには経常収支黒字が常に必要というわけではない。反対に、国内の消費や投資が伸び悩み、貯蓄過剰になったために、経常収支が黒字になっているのであれば、経済は低迷する。
日本では、確かに家計部門の貯蓄は減少し、政府の貯蓄も減少しているが、企業部門の貯蓄(内部留保)はむしろ増加しており、結果として、経常収支黒字・貯蓄超過拡大している。
固定相場制を採用する国(例えば中国)では、経常収支黒字が続くと、政府は、為替相場を維持するために、民間企業が稼いだ外貨を自国通貨で買わなければならない。その結果、政府の外貨準備高が増える。反対に経常収支赤字が続くと、その逆になり、決済手段の外貨準備高が減ってしまうので、不況にして輸入を減らすことで為替を維持しなければならない。
経常収支赤字国(対外債務国)は自国経済の将来性を一生懸命にアピールする。その結果、過剰な期待が膨らみやすく、バブルが起きやすい環境が醸成されることになる。そのバブルがはじけたとたん、海外から流入してきた資金は、一斉に海外へと流出するので通貨の暴落を引き起こし、返済すべき対外債務の額は膨らんでしまい、不況はより深刻化する。これを防ぐためには、政府は経常収支を適度な水準に均衡させておかなければならない。アメリカが対外債務を是正しようとしているのは、そのためである。
5.真の開国を願う
明治維新とは、「避戦・開国」の幕府を打倒し、「攘夷・開国」を実現するためのものだったのである。しかし、世間では攘夷をあきらめ、外国からの圧力に屈し、これに順応したのが「開国」であるかのように言われている。「平和と繁栄のためには、国家の自立や自主防衛などは考えないほうがいいのだ」という戦後日本的な発想の産物なのではないであろうか。幕末・明治の「攘夷・開国」は、自力で国を守りたくない戦後日本人にとっては、いかにも都合が悪いのである。この強力な対米依存願望こそが、日本人の戦略的思考回路を遮断してきた最大のブレーカーにほかならない。
「いざとなったら、自分たちの力で自分の国を守る」という独立国家として当然の責務を覚悟すれば、世界情勢を正しく分析し、問題の本質を正面から議論して、日本を守るための国家戦略を構想することができるはずである。
1980年代から90年代初頭にかけて、日米の間で貿易不均衡が問題になった時、日本政府は、日本の平均関税率が国際的に見て最も低い部類に入るという正確なデータを掲げて、アメリカの批判に対して正々堂々と反論していた。それが今では、日本政府自らが、「日本は、国を開かなければならない」とネガティヴ・キャンペーンを張っている。
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