神様の女房
2011年11月01日(火)
もう一人の創業者・松下むめの物語
高橋誠之助著
ダイヤモンド社
2011年9月8日発行
20年以上にわたり執事として松下家に関する一切の仕事を担った高橋氏が、松下むめのさんの生涯を描いた一冊。経営のあり方、スタッフとの関係に於いて非常に参考になる。 むめのは、小さい頃から、わからないことはわからないと言い、理解が早く、事の本質をすぐつかんだ。また、相手に尽くす生き方を母こまつに教わった。そして、何事も先ずはきっちりとしたけじめが大切だと考え、松下電器を人間として筋の通る会社へと育てた。
1.商家の旧家に行儀見習いの奉公
大変ではあったけれども、気持ちよく働くことができた。ここで、奉公する側の立場や気持ち、何をしてもらえばうれしいのか、徹底的に学んだ。そこの女主人からの言葉「人生は自分で切り開くもんや」は、むめのにとって終生忘れられないものになる。
自分の意のままに、人を動かそうと思ったらあかんということや。他人となれば、自分の思うようにしようと考える方が間違いだと思った。相手の気持ちをちゃんと察し、どうしたらわかってもらえるかを考えて、その努力を繰り返していかないとあかんということや。他人が言うことを聞いてくれないのは、自分が至らないから、そう思うこと。
2.しつけ
むめのも、よく社員や社員の奥方を叱った。だが、叱ることと怒ることは違う、ということを意識していた。ただ、怒ったらだめだ。怒りは感情やからだ。みんなの目の前で叱るのが一番ええんだ。人やのうて、コトを叱るんだ。むめのは、叱るのは礼儀作法に関してだけ、と決めていた。
挨拶は人間関係の基本中の基本だと心得ていた。幸之助のためにも、“しつけ”は重要だった。日頃の身だしなみで最も大事なことは、まず爪をいつもきれいにすることだ。爪が汚れてるような人は、極めて印象が悪い。
3.賢いよりも、信頼される女房
女は男の仕事にくちばしを入れてはならん、自分の意見にこだわることは絶対につつしまなあかんと思う。自分に何ができるのか、常に考えるのがむめのだった。女房も努力する。勉強もする。それがむめのの哲学であった。幸之助に聞かれた時に答えられるように準備していた。銀行、証券会社、デパート、呉服商、得意先の主人などと積極的に会話を交わし、経済の動きや衣服の流行、家庭の関心向きなどに、様々な質問をした。
幸之助が間違ったことを言っていると思った時には、容赦なく反論した。しかし、最後の詰めまでいったらあかん。喧嘩が終わったら、先に話しかけるのは女でないとあかん。主人のメンツを立てることが仲直りのツボなんや。
気持ちよく幸之助にいろんな気持ちを吐き出させ、気持ちよく決断させることが大事。女が出過ぎてしまったら、主人の値打ちが下がってしまうんや。それは女の値打ちも下げる。奥さんが、主人より偉うならんことだ。もし偉うなってしもうたら、それを鼻にかけんことだ。
4.幸せとお金は別物、質素倹約を旨とした
家計を守っていく上で、一番大切なことは、収入第一にすることだ。支出は収入があってこその支出。収入より支出が超さないことが原則だ。そのためには、先に必要なお金は抜いて分けて、先に払ってしまう。それで残ったお金を貯金するんだ。そうしないと貯金はできない。
サラリーマン時代の給料は、ささやかなものだった。裁縫仕事の内職があったからこそ、家計にゆとりがあったのだ。稼ぎは、その気になれば、幸之助の給料の三倍を超えるものだった。むめのが裁縫仕事で家計を助けていた秘密を幸之助が知ったのは、実に50年以上も経ってからだった。家賃を2日遅れで払ったことも、2銭の風呂代すらなくなっていたことも、晩年まで全く知らずに過ごしていた。
のぼりの見積もりにあたって、厳しい商談を交わしていたことを幸之助は知らなかった。一本ナンボではだめだ。使用する布に使う糸の値段、糸の染め代、布の織り代、縫製代、支柱の材料代、加工代、それぞれの値段を細かく調べて見積もりしてほしい。それから、注文の本数によって、ナンボになるか、ということも一緒に頼む。原価分析を求めた。
5.「水道哲学」
幸之助が掲げた、この世から貧乏を無くし、誰もが幸せになれる楽土を建設するという、とんでもななく大きな目標を、奥様のむめのさんは真に受け止め、その実現を自分自身の夢にした。
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