ウソのない医療
2009年01月20日(火)
がん患者と「カルテ開示」
協立総合病院 患者会連合会 編
風媒社
1998年9月20日発行
1500円
人間の尊厳を深く考えさせられるテーマである。それでも、これからも、患者のために医師が、家族が、患者らしく生きることを考え抜き、悩んでいくだろう。
日常診療のインフォームド・コンセントの大切さをつくづく感じるとともに、歯科治療においても、パターナリズムにならずに、患者が自分で決められるだけの正確な情報を伝え、納得して治療を受けられることを心がけたい。
1.がん療養体験発表会
がんであることは何も特別なことではない。死亡原因の第一位はがんである。がんは進行がんであっても、余命が比較的はっきりしている。この時間の中で多くの人はがんであるという真実を知り、がんで自分の命を奪われるという非情さと葛藤し、やがて死を受容し残された人生を生き抜く。
ごくありふれた人が、ある日がんの告知を受け、真実と向き合ってどのように生き抜いているかを紹介しいる。それぞれの姿の中にがんという真実を受け止めた人の人間らしさがあふれている。
2.カルテ開示
気軽に視ることができる機会が重要と思っている。隠し事がないという安心感が信頼にもつながり、対話のための良いきっちかけとなっている。
これまで、視て・聞いて・感じたままの本音を、普通に考えれば人権侵害だと思われるようなことまでカルテに記入していた。また、看護婦が感情的な記述や患者の評価までを書いていたが、事実をありのままに書くようになった。他の看護婦や患者本人は、カルテに書かれたその事実をみて判断するようになった。
まず開示を先行させて、そのうえで批判を受けながら要望に応えるカルテを作っていき、自然なかたちでカルテ開示が広がればと思っている。
3.告知の現状
がん告知が行われない場合、誰の意思によって告知されないのかを考える時、日本では多い順から並べると、医師・患者家族・患者自身となる。患者自身の意思により知らされていない場合はまれだ。
がん告知は医師の判断に任されている。しかし、患者の受容能力の判断ができないから非告知の立場をとる医師は多く存在する。重い医療情報を伝えることは患者本人を苦しめるだけで、よりよい闘病生活を導き出す自信を持つことができなかった。
4.段階的告知
知る権利は患者固有の権利であり、家族といえどもまして医師などが侵害してはいけない権利だと思う。自己決定権で選択され、その選択が誤らないように医療者はできるだけ正確な情報を提供し励ます。
真実を受け止める心の準備があるかどうかを確認後、医療の流れに沿って分かったことをうそのないように説明していくことが、患者の受容能力も、患者と医療者の人間関係も、そして段階的告知にもつながると思う。
医療が始まった時点から真実を告げていくことは再発時の受容につながり、そして自覚的に死を受容し、残りの人生が凝縮されたものになる。
5.がん告知の試み
告知の是非は患者の意思によって決定し、告知する場合には家族に患者本人が告知を望んでいることをお話しして告知に同意を求める。家族にがん告知の決断を迫ることや家族の告知に対する考えを聞くようなことはしない。しかし、家族には患者の支えになってもらうために、同意してもらうことは必要と思っている。
告知後発生する様々な問題については、経験を積み重ねることの可能な医療機関が責任を持って行うべきものであると思う。告知をされたときの衝撃は非常に強いものがあるが、一定の時間を要したとしても受容し、人は強く生き抜いていく。自分の苦痛の正体が分かっていることは、正体不明の原因からくる苦痛よりしのぎやすいように思う。
また、重い医療情報の共有は患者に関わる人たちの強い絆を生み出し、残された人生が短ければ、だれもがその人生が輝かしいものであって欲しいと願う。
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