現代語訳 論語と算盤
2021年03月11日(木)
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渋沢栄一著
守屋淳訳
筑摩書房
820円
2010年2月10日発行
本書は「論語と算盤」の中から重要な部分を選び、現代語に訳したもの。この原著は、渋沢栄一が書いたわけではなく、講演の口述筆記をまとめたもの。編集者である梶山淋が90項目を選んでテーマ別に編集してものを、「論語と算盤」として大正5(1916)年に東亜堂書房から発刊した。
日本実業界の父が生涯を通じて貫いた経営哲学は、「利潤と道徳を調和させる」こと。 国の富をなす根源は、社会の基本的な道徳を基礎とした正しい素性の富。そうでなければ、その富は完全に永続することができない。
今から100年以上前に、「資本主義」や「実業」が内包していた問題点を見抜き、その中和剤をシステムの中に織り込もうとした。
現代日本の「働き方」や「経営に対する考え方」は、多様化している。様々な価値観が錯綜し、その軋轢の中で右往左往せざる得ない状況がある。「論語と算盤」は、すべての日本人が帰るべき原点である。彼の言葉は、指針の失われた現代こそ響く。
武士の家計簿
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1.天地の道理
成功と失敗は、心を込めて努力した人の身体に残るカスのようなもの。それよりももっと大切なことは、人として為すべきことの達成を心掛けること。
成功や失敗といった価値観から抜け出して、超然と自立し、正しい行為の道筋に沿って行動し続けるなら、成功や失敗などとはレベルの違う、価値のある生涯を送ることができる。成功など、人として為すべきことを果たした結果生まれるカスに過ぎない以上、気にする必要などまったくない。
2.立志と学問
まず自分の頭を冷やし、その後に、自分の長所とするところ、短所とするところを細かく比較考察し、その最も得意とするところに向かって志を定めるのがよい。
「何かひとつ仕事をしてやろう」とする者は、自分で箸を取らなければダメ。些細なことを粗末にするような大雑把な人では、所詮大きなことを成功させることはできない。
正しい道をあくまで進んでいこうとすれば、争いは避けることは絶対にできない。正しいことをねじ曲げようとする者、信じることを踏みつけにしようとする者とは、何があってもこれと争わなければならない。青年期において絶対争いを避けようとするような卑屈な根性しかなければ、到底進歩したり成長したりする見込みはない。
3.いつも同じ心構え
名声とは、常に困難で行き詰まった日々の苦闘の中から生まれてくる。「あの困難をよくやり遂げた」「あの苦痛をよくやり抜いた」というような経験がある。心を引き締めて取り組んだ証拠。
人の災いの多くは、得意な時に兆しがある。調子に乗ってしまい、頭から呑んでかかるので、目算が外れがちになり、とんでもない失敗に陥ってしまう。
得意な時だからといって気持ちを緩めず、失意の時だからといって落胆せず、いつも同じ心構えで、道理を守り続けるように心掛けていくことが大切。
4.道理と欲望
国家社会の助けがあって、初めて自分でも利益が上げられ、安全に生きていくことができる。富を手にすればするほど、社会から助けてもらっていることになる。
経済活動は、社会のためになる道徳に基づかないと、決して長く続くものではない。現実に立脚しない道徳は、国の元気を失わせ、モノの生産力を低くし、最後には国を滅亡させてしまう。
人間であるからには、誰でも富や地位のある生活を手に入れたいと思う。だが、真っ当な生き方をして手に入れたものでないなら、しがみつくべきではない。道理と欲望とがピッタリくっついていないと、不幸を招いてしまう。
お金を大切にするとは、よく集める一方で、正しく支出すること。ケチになることではない。
5.趣味
「趣味」とは、ワクワクするような面白み。「理想」、「欲望」、「好んだり楽しんだりする」という意味。
どんな仕事でも、「趣味」を持たなければならない。自分の務めを果たす時には、「趣味」を持てば、必ず仕事に心がこもる。さらに一歩進んで、人として生まれたからには、人としての「趣味」を持って欲しい。
年老いて身体が満足に動かなくなっても、心が世の中の役に立とうとするなら、それは命ある存在。しかし、ただ食べて、寝て、その日を送るだけの人生では、そこには生命などなく肉の塊があるだけ。
6.現代教育の得たもの、失ったもの
昔は少数でもよいから、偉い者を出すという天才教育であった。心の学問が多かった。よい師匠を選ぶことに苦心した。寺子屋時代は、各々得意とするところに向かって進むので、十人十色の人材に育った。
今は多数の者を平均して教え導いていく常識的教育になっている。知識をむやみに詰めこむことばかりに力を注ぎ、道徳を育む方向性が欠け、人に頭を下げることを学ぶ機会がなく、いたずらに気位ばかりが高くなってしまった。似たり寄ったりの人材ばかりが生まれ、並以上の人材が有り余るようになった。
7.後輩の指導に当たる先輩にも、2種類
後輩にいかなる欠点やミスがあっても、必ず味方にまわってくれ、どこまでも後輩を守ってゆくことを信条にしていくタイプ。至極のん気に構えて、綿密な注意を欠いていたり、軽々しいことをしたりするような後輩を作ってしまう結果となり、どうしても奮発心を鈍らすことになる。
後輩に対して敵国のような態度をとるタイプ。ミスでもすると、もう全く取り成しようがないほど、つらく後輩にあたる人。一瞬も油断できず一挙一動にもスキを作らないようにと心掛けるようになる。ふるまいにも自然に注意するようになり、はめを外したり、怠けるようなことを慎み、一般的に後輩たちの身が引き締まるようになる。
8.智恵、情愛、意志の3つのバランス
常識とは、一般的な人情に通じて、世間の考え方を理解し、物事を上手く処理できる能力。学術的には、強い意志の上に、聡明な智恵を持ち、これを情愛で調節する。
「智」とは、物事を見分ける能力。原因と結果を見抜き、今後どうなるかを見通せる。他人に降りかかる迷惑や痛みなどを何とも思わないほど極端になりかねない。
「情」は、そのバランスの悪さを調和していく。バランスを保ち、人生の出来事に円満な解決を与えてくれる。欠点は、感情に走り過ぎる。
強い「意志」が感情をコントロールする。意志ばかりが強くて、「情」や「智」が伴わなければ、根拠なく自信ばかり持って、自分の主張が間違っていても直そうとせず、ひたすら我を押し通そうとする。
9.キリストと孔子の教えの違い
キリスト教は、「自分がして欲しいことを、人にしなさい」。孔子は、「自分がして欲しくないことは、他人にもしない」。権利と義務とが対照的に見えても、最終的には一致する。
宗教やその教義としては、キリスト教の方がよいかも知れないが、人間の守る道としては孔子の教えの方がよいと思う。
孔子の方が高く信頼できる点として、奇跡が一つもない。キリストがはりつけにされてから3日後に蘇生した。
10.渋沢栄一小伝
実家は豪農。長い人生を通じて、難しい選択を迫られることが度々あった。その都度、最初は激情に駆られたとしても、結果として必ず最善の道を岐路から選びとった。自分の意見とは相反する情報まで徹底して集めて、冷静にそれを使いこなしたので、広い視野をもとにした絶妙のバランス感覚が発揮できた。
1867年、パリ万博が開かれた。随行の一員としてフランス渡航。ヨーロッパ各国の強大さを支えているのは、資本主義をもとにした経済力であると肌で理解し、経済力向上のためには、商人の地位を向上させることも必須だと感じとった。
岩崎弥太郎からの富を独占しようとする強者連合の誘いを断った。富は分散させるべきもの、独占すべきものではないとする正反対の考え方。あくまで国を富ませ、人々を幸せにする目的で、事業育成を行っていた。実践の原動力は私心のなさ。
私生活では、お妾さんを数多く持ち、その子どもは30人以上いたらしい。80才を超えて最後の子供を儲けている。品行の悪い長男篤二を廃嫡し、孫の敬三を当主としている。享年92才。谷中霊園の徳川慶喜にほど近いところにお墓。
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